随心院境内の勅使門前の梅林は230本の梅花がまさに満開であった。左下矢印
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その前に小野小町の名高い歌碑がある。ダウン
「花の色はうつりにけりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」
まさに人生の移ろいとはかなさを詠んだ句である。
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梅林横の奥まったところに小町化粧井戸がある。ダウン
ここは小野家の住宅跡であり、小町が朝夕この水で化粧をしたと伝わる井戸である。
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塀に沿った細い道を入ってゆくと本堂裏側に出る。
小道は崩れかけた板塀がそのままであり、足元には奉納歌碑が並ぶ。
鳥居は清滝権現に通じる参道も兼ねている。ダウン
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雑木林の中にある小町文塚に。ダウン
百夜通いで名高い深草少将をはじめとする貴公子から小町に寄せられた千束の恋文を埋めたとされる。
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また清滝権現が祀られている。ダウン
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写真は本殿。ダウン
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ここまで来たのだからと、近くにある醍醐天皇後山科陵に向かう。
しかし近道がなく総門の通り近くまで戻り、しばらく東に向かって歩きようやく到着。
住宅地の中、整然とした参道の先に陵墓がある。ダウン
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円形とのことだが、樹木が生い茂っており周辺からは確認できなかった。左下矢印
醍醐天皇は60代天皇で33年間在位し和歌をよくされた。
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30分毎のコミュニティバスまで時間があるので近くの五輪塔を訪ねてみた。
路の三差路の小公園のようなところに地蔵さん4体と五輪塔が立っている。
この五輪塔の一部は正暦2(991)に仁海和尚が建立した曼荼羅寺(現在の隋心院)の跡を示すために立てた五輪塔の残存石と言われる。
その後慶長20(1615)に再建されており、つい最近までは毎年8月に虫供養が行われていたとある。ダウン
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