勧修寺参道はまるでお城のような白塀が折れ曲がりながら両側に続いており、折からの梅花も花を添えていた。ダウン
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山門前も城郭のような構え。ダウン
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山門を入った正面に植え込みがありその奥に玄関と庫裏が建っている。ダウン
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受付で拝観料を払って境内に。
寝殿は江戸時代初期築の明正天皇の旧御殿を元禄10(1697)に移築したもの。入母屋造の端正な佇まいの建物で内部は書院造。ダウン
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書院(国重文)は貞享3(1686)に後西天皇の旧殿(明正天皇の旧殿とも)を下賜されたもので、入母屋造りのこけら葺き。ダウン
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前には水戸光圀寄進の勧修寺型灯篭がある。
写真を撮り忘れたが、石灯篭の頭部が少しだけ見える。ダウン
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書院の隣に五大堂が建っている。ダウン
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さらにその奥に茅葺本堂が建っている。寛文12(1672)に霊元天皇の仮内侍所を下賜されたもの。
残念ながら工事中であり覆いがされていたので、写真は入り口の扉。ダウン
宗派は真言宗山階派大本山。山号は亀甲山。
創建は昌泰3(900)に醍醐天皇が生母の菩提を弔うために建てられた。生母の出身である宮道家邸宅を寺に改めたという。その後門跡寺院となり、山科門跡と呼ばれた。
「今昔物語」の「玉の輿伝説」によると、藤原冬嗣の孫の高藤が16歳の時に鷹狩りで道に迷い一軒の家で一夜、その家の娘列子とちぎりを交わした。6年後に高藤が家を訪れると成長した美しい列子と女の児がいた。そり女の児胤子がのちに醍醐天皇の生母となる。
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また明治5年に勧修小学校開校で校舎として使用された。
境内の大部分は広い庭園になっており遊歩道がついている。
氷室の池を中心に周囲の山を借景にした池泉回遊式庭園で蓮の花が美しい。右下矢印
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その中に楼閣風の観音堂が見事に映えている。ダウン
寺院とは思えない、王朝の雅な匂いがあちこちに残っている。
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池の周囲を巡る遊歩道で一周してみる。
写真は修行大師像。ダウン
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写真は弁才天堂。ダウン
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写真は池の一番奥から撮ったもの。ダウン
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池で鯉や鳥に餌をやっていると、近所の素人カメラマンらしき人が話しかけてみえた。四季折々にこの庭園の美しい風景を聞き、また訪ねてみたくなり、後ろ髪を引かれる思いで勧修寺を後にする。