木立の中の石段を登ると二天門(国重文)が建っている。
入母屋造の杮葺、三間一戸の八脚門で応永14年(1407)の墨書が残る。ダウン
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持国天、増長天の二天像を安置。ダウン
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正面に建っている本堂は瑠璃殿とも呼ばれ国宝指定。ダウン
七間四方の入母屋造檜皮葺で優美かつ壮大な建造物であり釘を使用していないという。
屋根の勾配や蔀戸の優美さ、蟇股や床下の白い亀腹も花を添えている。
天台宗の寺院、山号は龍応山。
承和元年(834)に仁明天皇の勅願によって開創され、祈願道場として修業道場として栄え、最盛期には十七の諸堂、三百の僧坊があったというからすごい。先ほど見た参道の両側にその跡をみることが出来る。
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本堂内を拝観。
本尊の薬師如来(秘仏)を中心に二天王(広目天、多聞天)はいずれも国重文。
さらに日光・月光像、十二神将がびっしりと取り巻いている。
また本堂内の後陣も特別拝観、釈迦如来立像(国重文)、不動明王・二童子(国重文)のほか、阿弥陀如来三尊、弁才天像、元三大師像などの詳しい説明を受ける。
本堂内の須弥壇を買った冊子よりコピー。ダウン
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本堂の左手には観林坊が建っている。ダウン
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右手に建っている三重塔(国宝)は鎌倉時代後期築でやはり釘を一本も使用していない。ダウン
高さは23,7mで屋根は檜皮葺で総檜造り。
内部の仏像、壁画は極彩色で素晴らしいが、時期的に拝観できなかった。
前に来た時に一度拝観したことがある。
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写真は三重塔内部を購入した冊子よりコピーしたもの。ダウン
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写真は鐘楼。ダウン
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石造宝塔(国重文)の場所を訪ねると、三重塔の右横の坂道を登った先にあるとのことであった。ダウン
西明寺を開いた三修上人の供養塔で高さ2,15mの鎌倉時代造。
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二天門を出て石段を下りる途中に、樹齢約1000年の夫婦杉が聳え立っていた。右下矢印
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写真は境内図。ダウン
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受付横のタクシー乗り場に戻る。
帰りもやはり900円で河瀬駅まで送っていただく。感謝、感謝。