世田谷八幡神社の鳥居前から世田谷線宮の坂駅前を抜けて東に歩いてゆくと、豪徳寺の参道入り口に出た。
参道入り口に石柱門とその上に狛犬がのっかっている。
参道の両側には松の木が並び趣のある参道となっている。
参道の先に明治17年築の山門が建っている。
境内は結構広く5万㎡あり、七堂伽藍が並んでいる。
文明12年(1480)に世田谷城主吉良政忠が弘徳院として開基。
その後寛永10年(1633)に二代井伊直孝が井伊家の菩提寺として再興し、直孝の法名から豪徳寺と改称した。
正面の仏殿は延宝5年(1677)築の桁行五間、梁間六間で黄檗様式が随所に見られる。
大権修利菩薩 像など五体を安置している。
前に立つ変形の石灯篭は仏殿を立てた時に造られた。
写真は仏殿内部。
その左の三重塔は平成18年5月に建てられたばかりで、高さは22,5m。
鐘楼にかかる梵鐘は延宝7年(1679)鋳造。
仏殿の後ろに鉄筋本堂(法堂)が建っている。昭和42年築。
その奥に開山堂が建っているが、ここから先は工事中で入れなかった。
本堂の右手に建つのは書院兼社務所。
本殿の左前に六角堂の納骨堂が建っている。
その左に奉納所が建っているが、茶室のような造りである。
さらに赤門が並ぶ。
井伊家江戸屋敷の新中雀門を移築したもの。
赤門を入ると招福殿が建っている。
この寺は招き猫の元祖と言われている。
山門で雨宿りをしていた井伊直孝が猫の招きで歩き出したところ、元居た場所に雷が落ちて命拾いをしたという話から始まったという。
招福殿の左側に小さな招き猫がびっしりと並んでいた。
境内の東側は広い井伊家の墓地となっており、一族300余の墓が並び国史跡に指定されている。
入り口には中興開祖二代井伊直孝の墓。
一番奥に井伊直弼の墓。
境内のお休処から先の一番東側に東門があるが開かずの門のようである。