前書き
昨年末から、いままで訪ねてきた寺社から選んだ「もう一度訪ねたい寺社500」を選定して、それぞれの寺社をまとめる作業を始めた。
北海道から東北、北陸、中部地方までは順調に来たが、滋賀と京都になると途端に前に進まなくなった。というのもブログ開始以前に訪ねたところが多く、また写真が保存されていなかったり無かったりで立ち往生した。春になったらもう一度訪ね直そうと考えている。
さらに滋賀・京都以前に訪ねたのが東京23区と都下であることに気づいた。
そもそも私が寺社巡りを始めたきっかけは、62歳で会社生活を終えたあと、医者から糖尿病対策として歩くことを勧められたからである。
近所の同じルートを毎日歩いていて飽きてきたので、オリエンテーションの要領で23区の寺社巡りを始めたことがすべてのスタートである。お陰で三年ほどの間に23区のすべて3100余の寺社を巡っている。
勿論、この時はブログを書く以前であり、古い写真を調べると写真もほとんど無く、あっても一寺社で3枚位しかないことが判った。
その後、知り合った四人組で、私の訪ねた記憶を思い出しながら23区の寺社探訪会で訪ねたところはブログとして残されている。
 
というわけで、都内で選んであった重要と思われる寺社を再度訪ねて歩いてみることにした。
この当初の寺社との出会いと評価は、その後全国の寺社を巡って目の肥えた今では、評価も違ってきているのでそのあたりも修正しながら再訪することにした。
 
少し前書きが長くなってしまったが、2月26日に文京区の根津神社、湯島天神、護国寺を訪ねるために出かけた。
地下鉄三田線で日比谷駅に、千代田線に乗り換えて根津駅で下車。
不忍通りをブラブラ歩いて根津神社の表参道に向かう。
もう四回ほど訪ねており、この参道も懐かしい。
入り口には鳥居が立っている。ダウン
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参道を進み右に折れると、正面に楼門(国重文)が見えてくる。
随分とゆったりとした境内である。
楼門の前に池があり石橋が架かる。ダウン
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楼門(国重文)をアップで。ダウン
楼門の右の随身像は水戸光圀がモデルとされる。
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正面に唐門透し塀(いずれも国重文)に取り巻かれて社殿が建っている。
透し塀の総延長は200mに及ぶ。ダウン
境内は五代将軍綱吉の兄である綱重の山手屋敷跡である。
創建は不詳だが日本武尊が創基と伝わる。
綱重の長子家宣が六代将軍になったので、綱吉がその屋敷跡に産土神の根津神社を移転し社殿を建てた。
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本殿・幣殿・拝殿(すべて国重文)が一体となった権現造りで、総漆塗り社殿は宝永3年(1706)に綱吉によって造営され、500石を与えられていた。

祭神は須佐之男命、大山咋命、誉田別命、相殿に大国主命、菅原道真を祀る。
拝殿前の紅白の梅が美しい。ダウン
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写真は拝殿内ダウン
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拝殿前の見事な青銅灯篭一対も国重文指定されている。ダウン
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社殿の右手には社務所・客殿が建っている。ダウン
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