浄国寺から山裾に続く抜け道を辿って中言(なかごと)神社に向かう。
黒江町は万葉の時代は潮の満ち引きで岩が見え隠れする入江であり、黒牛潟と呼ばれ和歌にも多く詠まれた景勝地であったという。
また境内の「黒牛の水」は名水である。
写真は中言神社の境内、右手前が黒牛の水。
拝殿は入母屋造、本殿は流造。
祭神は名草彦命、名草姫命、八王子命。
創建は弘仁3年(813)とのこと。
境内社は多く、祇園社、弁財天、琴平社、春日社、恵比寿社、稲荷社などなど。
中言神社の狭い参道を降りて行くと、参道の家と家との間に板橋を通して洗濯物が干してあるのにびっくりする。
のこぎり歯状の家並みが多いというがうまく写真に撮れなかった
写真手前の屋根の繋がりを言うのであろ。
さらに参道を降りてゆくと大通りに出た。この角に万葉歌碑があるとのことだが、捜しても見つからなかった。
写真は温故伝承館。
昔の酒蔵を利用した資料館。
その向かい側の建物は黒牛茶屋。
慶応2年創業の名手酒造の直営店。銘酒「黒牛」もある。
黒江は「黒江塗」と呼ばれる紀州漆器で名高く、日本四大産地の一つとされ400年の歴史を持つ。
ルーツは秀吉による根来寺攻めで、逃げ隠れた根来衆の一部がここ黒江で根来塗を伝えたとも言われている。
写真は池慶漆器店。
表通りはお店になっているが、一つ裏小路に入ると実に狭い小路の両側にびっしりと民家が建っている。
写真は小路で見た池庄漆器店の裏側。
築220年という旧家で町屋の面影を色濃く残しており、丸瓦や低い二階が特徴。国登録有形文化財。
写真は尾崎家。
江戸時代は大庄屋などを務めた名家で、二階建ての母屋は国登録有形文化財。
これも変わった民家であるが珍しい建物。
小路を入ると保存されているというより生活と一体となった民家が残っている。
昔、見たことがあるような長屋のような建物もあり郷愁を誘う。