さらに北に歩くと真田勘解由家があり、真田本家の分流とのこと。左下矢印
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文武学校は江戸後期に創設された松代藩の藩校である。ダウン
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当寺の建物などがその広場の前に旧白井家表門が建っている。
弘化3年(1846)築を移築復元したもの。ダウン
白井家は知行100石の中級武士である。
三間一戸の長屋門で間口20m、背面に三つの部屋を併設するといった変わった造りになっている。
こうして見てくると松代藩の武士宅の門は、他の藩と比べてかなり大きいのが特徴であろう。
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その並びに茅葺の旧樋口家住宅が建っていた。ダウン
樋口家は真田家の家臣として藩の目付役などを務めて江戸時代末期の禄高は2230石。
住宅は一種の公舎であり、主屋、長屋、表門、土塀、板塀などで構成されている。
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ようやく真田邸に着くが、思っていた以上に大きな邸宅に驚く。左下矢印
江戸末期に9代藩主真田幸教が義母の住宅として建設し、その後自分の隠居住宅とした。
明治以降は真田家の私邸となり、昭和41年に長野市に譲渡された。
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写真は真田邸の外廻りの建物群。ダウン
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時間に追われて慌ただしく、ようやく松代城址に到着。
松代城の前身は海津城であり、戦国時代に武田信玄が川中島の戦いの際に永禄3(1560)築城した。
その後元和8(1622)に真田信之が転封で移ってから明治まで松代藩真田家の居城となった。
写真は濠と前橋。ダウン
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前橋を渡ると太鼓門が復元されており、本丸内では一番大きな門であった。右下矢印
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本丸御殿跡。ダウン
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ようやくのこと、バスの発車時間ギリギリに松代駅に到着。
あまりに急ぎ過ぎたので、旧横田家住宅を飛ばしてしまったのが残念。
また真田邸、文武学校などゆっくり見て回ることが出来なかったことも心残りである。
コース設定を反対周りにすれば良かったが、これも後の祭り。
しかし松代駅の廃線によって、街はかなり寂れてきているが、その代わりとして古い武家屋敷や風情がそのまま残って行くのは町の財産でもあろう。
松代駅の旧構内はすぐ近くの松代城址観光のための広い駐車場となっていた。ダウン
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