10月1日、急に思い立って長野市松代町と飯山市に出かけてきた。
朝、ゆっくりの電車に乗って長野駅に降り立ったのは12時前。
駅前の宿泊するホテルに荷物を預けてくる。
長野駅頭に立つのは10数年ぶりであり、その時はまだ新幹線も開通していなかったこともあり、駅近くもまだ空き地があったように記憶している。
今回訪ねてみて駅舎の立派さに驚き、駅前のビルの乱立に戸惑ってしまい、むしろ初めて訪れた町という印象を持った。
写真は長野駅舎前、イベントが開催されていた。
駅前からバスに乗って松代に到着したのが12時45分。16時半帰りのバスまでの約4時間ばかり古い城下町を散策することにした。
松代駅舎がそのまま残っており、バスの発着場でありここが観光客のスタート地点になっている。
松代駅は長野電鉄屋代線の廃駅である。屋代線は大正11年に開業し、平成24年に廃線となった。
まずは観光案内所を訪ねて市内観光地図を入手。
写真は案内所の真ん前にある小山田家住宅で国登録。
主屋は嘉永2年(1849)、番所は江戸後期築。
東に歩いて行くと矢沢家表門(国登録)がある。
矢沢家は代々松代藩筆頭家老職を務め、石高400石、同心40名という最高の家柄であった。
この長屋門は寛政4年(1792)の再建で、間口13,19m、奥行3,72m、高さ6,83mという堂々たる構えで、門の両側に武者窓を備えた同心部屋がある。
突当りの道を鉤状に曲がると右手に旧松代藩鐘楼が見えてくる。
享和元年(1792)に再建され、また近年整備された。
石積の基盤の上に建つ井楼式高櫓形鐘楼で高さは12mある。
また江戸末期に佐久間象山がここで電信実験をしたとも伝わる。
鍵町小路に入ると高札場が復元されていた。
さらに小路を右折して西念寺に向かう。
写真は本堂。
浄土宗の寺院、正平20(1365)創建と古い。
境内に地元出身の江戸大相撲力士君ケ嶽助三郎の墓がある。
他に福寿稲荷堂。