霞が浦に沿った道を南下して西蓮寺を目指して走る。
西蓮寺は小高い山の台地全体が境内になっており、また公園として開放されている。
山門(仁王門)は天文12年(1543)に薬医門として建てられたが、寛政2年(1790)に一階部分のみ残して山門に造り替えられ、さらに仁王門として今に残しており、国重文指定されている。
写真は仁王像。
延暦元年(782)に勅願により、最澄の高弟僧最仙が開山という古刹である。
そのため「常陸の高野山」とも呼ばれるが、明治時代に火災に遭って山門と相輪塔を残してすべて焼失してしまった。
広い境内の真ん中に質素な造りの本堂。
天台宗の寺院、山号は尸羅度山。
本堂の向かい側に建っているのは国重文指定の相輪橖(そうりんとう)。
仏塔の一種で柱と、仏塔の屋根の上にある相輪からなっている。
1287年に弘安の役の戦勝記念に立てられたというから驚く。
常行堂では何か集まりが行われていた。
写真は薬師堂。
写真は鐘楼。
境内には何と樹齢1000年という大銀杏が二本聳え立っている。
鐘楼の横に立つのが一号で、根本に子安観音が祀られている。
鐘楼の前に立つのが二号で根本に稲荷が祀られている。
両木とも辺りを睥睨している感あり。
写真は境内の不動明王堂内。
仁王門の近くから昔懐かしい歌謡曲が流れており、子供の頃に良くみた観光地の雰囲気を思い出す。
近づくとお休み処のようで、「なめかたの夢舞台」の看板があり、「山ゆり稲荷神社」や観音像などが所狭しと建っており、沢山のテーブル席まで用意されている。
こんな古刹のそれも重文指定の仁王門の近くでの俗っぽい装置に思わず苦笑いする。