子生弁天を後にして車は鹿島灘から霞ケ浦に向かう間道を左右に曲がりながら走って行く。
次の無量寿寺は鹿島灘と霞ケ浦のちょうど中間に位置している。
山らしい山は無くところどころに台地があるのみで、見渡す限り畑の中の道を走って行く。
それにしても車もほとんど通らないし、歩いている人などは全く眼にしない。
彼、曰く「こんなドライブらしい運転をしたのは久しぶりだ」と。
無量寿寺の境内は少し高台の台地にある。
写真は入り口の石柱門。
山門(県指定重文)には数十段の石段を登って行く。
真宗本派の寺院、山号は光明山。
山門を入ると正面に本堂中心に手入れされた境内が目に飛び込む。
重厚な茅葺本堂は1702年築で県指定重文。
806年に平城天皇の勅願所として創立された古刹である。
また親鸞が笠間の西念寺から鹿島神宮に参詣した時に、この辺りの住民から毎夜現れる幽霊を取り鎮めてほしいと頼まれたため三年滞在した。
そして無量寿寺と改名し、弟子の順信房を住職として残したことから、その門下たちは鹿島門徒と呼ばれる。
親鸞門下二十四輩三番の寺として知られる。
本堂の向かいに建っている鐘楼も茅葺屋根で県指定重文。
境内の菩提樹の大木は樹齢800年で天然記念物。
写真は境内の風景で大木の右に石蔵が建っている。
写真はやはり境内の焼榧の大木。
親鸞上人お手植えとある。
帰り道で、同じ境内に参道の先にお堂があったので石段を登って行くと塔頭教圓寺であった。