善導寺の境内は結構広く、本堂の右手に横長の客殿が建っている。ダウン
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本堂の裏に徳川四天王の一人である榊原康政ほか四基の墓が並んでいる。左下矢印
康政の他に長男、三男で二代目、側室、側近で殉死した家来などの墓が並ぶ。
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榊原康政は天文17(1548)に三河国上野(現豊田市)に生れ、12歳の時に家康の家臣となった。初陣は1563年の上野の合戦でありその手柄によって家康から一字を賜って康政と名乗り、その後数々の合戦を歴戦し、井伊直政、本多忠勝、酒井忠次と共に徳川四天王と称された。
天正18(1590)10万石で館林城主となった。
榊原康政の墓は高さ5m46cmの宝篋印塔。ダウン
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勢至堂は昭和63年の新築。ダウン
一見するとお休み処の建物かと思った。
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観音堂は間口五間奥行六間で、やはり昭和63年の新築。ダウン
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さらにその奥に池を配した庭園が造られていた。ダウン
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なかなか風雅な庭園であるが、この日訪れていたのは私一人であり、実にゆったりとした気持ちですべて独り占め。
写真は奥から見た庭園。ダウン
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庭園の奥の灌木の中に善導稲荷社が祀られていた。ダウン
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墓地の奥に富士見門があり、通用門であろうがこの日は閉まっていた。左下矢印
ここから出ると城沼に面している。
境内にはなんとトイレが三か所もありその気配りに感心しながら善導寺を後にした。
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