結城駅前にある観光案内所に立ち寄って地図を頂き、とりあえず一番遠くにある弘経寺を訪ねて、寺院や町並を歩きながら駅に戻ることにする。
弘経寺(ぐぎょうじ)を訪ねるのが今回の最大の目的であり、この周辺(下総)に三つある弘経寺の一つである。
過日、取手の弘経寺を訪ねたので、残るは水海道の寺院のみとなった。
総門は一間一戸の四脚門。
浄土宗の寺院、山号は寿亀山。
総門を入ると山門に至る参道には樹木は少なく、ゆったりとした広場になっていた。
山門は三間一戸入母屋造の八脚楼門。
楼上に安置されている宝冠釈迦如来坐像は1605年に毛利輝元が将軍家に献上したものを増上寺経由で下賜されたもの。
山門の左前に建つのは不動堂。
山門を入ると視界がパッと開けて、山をバックに本堂が建ち、歴史の古さというか大寺の貫録充分な境内である。
また創建以来一度も火災・戦乱等で焼失していないのも珍しい。
本堂は桁行8間梁間10間の堂々たる建物であり、屋根は千鳥破風、向拝は唐破風で精巧に彫刻が施されている。
文禄4年(1595)に結城秀康が息女松姫の追善供養のために開基した。
関東十八檀林の一つで、文政年間には学寮10軒を数えたという。
またこの寺には与謝野蕪村が滞在し、襖絵などが残っている。
開山堂(観音堂)は朱塗り重層三間四方の宝形造。
花頭窓が美しい。
鐘楼は二間四方の吹きっ放し。
境内の一角に松樹院殿御廟がひっそりと建っている。
松姫の院号なのであろうか。
1742年に結城を訪れた与謝蕪村はこの寺にも滞在して襖絵などを残している。
蕪村の句碑「肌寒し 己が毛を噛む 木葉経」が立っている。
また境内に砂岡雁宕の句碑と、説明板もある。
写真は庭園。
さらに境内の東出口に裏門が建っていた。