結城東中学校のグランドを左に見ながら真っ直ぐ西に向かい、校門前から小川に架かる橋を渡ってさらに西に歩くと右手に華蔵寺の総門が建っていた。
総門を入るとさらに鐘楼門が建っている。
すべて吹き抜けの簡素な造りである。
写真は本堂。
建武2年(1335)に8代結城直光が開基。
臨済宗妙心寺派の寺院、山号は覚城山。
本堂前に由緒ありそうな大板碑と石憧があるが詳細不明。
写真は客殿と庫裡。
さらに西に歩くと264号線の大通りに出た。
出たところに阿弥陀寺が門を開いていた。
時宗の寺院、山号は光明山。1297年の創建。
取りあえず結城駅に向かい食事をすることにした。
その途中に地蔵堂があり由緒が書かれていた。
1440年(永享12)の結城合戦は結城11代氏朝と幕府関東管領上杉憲実との間の戦いであるが、その発端は結城氏朝が鎌倉公方足利持氏の遺児春王丸、安王丸、永寿丸を匿ったことによる。
激しい合戦の末に敗れた結城家一族は自刃して果てた。
春王丸、安王丸は女装して逃げる途中捕まって斬首された。
この地蔵堂はそれを憐れんだ地元人々が供養のため祀ったもので、現在のものは1713年に再建されたもの。
なお永寿丸は囚われの身になって京都に護送されたが助命となった。後年に成氏と称して鎌倉公方となったという。
写真は結城駅舎。
写真は結城駅前の蕪村歌碑。
駅近くの食堂で野菜炒め定食を食べる。
大変美味しくまた安かった。
それにしても駅周辺の閑散とした風景は寂しいものがある。