上州富岡に来る時に車窓からなかなか立派な神社が眼に付いていたのを思い出し、思い切って山名駅に途中下車して訪ねてみることにした。
山名八幡宮であり、応仁の乱で一軍の指揮を執った山名宗全の祖先が創建した由緒正しき神社であった。
写真は一の鳥居。
正式の参道の途中に電車が横切っており、境内には線路の下を通って向かうようになっており、その先に神門が建っている。
その手前に大きな「たちわりの石」が置かれていた。
慶長5年(1600年)に高崎藩主井伊直政の許しを得て真庭念流中興の祖である樋口定次が、天真流村上天流と試合をするにあたって当社に21日間参籠した。
満願の日、定次が枇杷の木剣でこの岩を断ち割ったと伝わる。
その後、鳥川畔で見事に天流を破ったとのこと。
楼門の先に二の鳥居とその左手に大木が聳える。
境内社八坂神社、琴平神社の横に神馬像が立っている。
この神馬像は全国の山名氏の末裔が奉納したとのこと。
祭神は玉依比売命、気長足姫命、誉田和気命。
新田氏の祖新田義重の子である山名義範(山名氏の祖)が文治年間(1185~90年)に宇佐神宮より勧請して社殿を造営した。
本殿と幣殿は同時期に造られ、その後拝殿が建てられた権現造である。
写真は拝殿の向拝。
本殿は三間社の流造で、背面を軒唐破風としており、全面彩色が施されている。
六種の動物(蜃、象鼻、鳳凰など)の彫り物がびっしりと並ぶ様は壮観。
この彫刻に明和年間(1769年)の墨書があることよりこの頃建てられたとみられる。
さらに平成3年から一年かけて極彩色に塗り替えたとのこと。
さらに本殿の裏に廻ると裏神様として獅子頭が安置されているのにびっくり。
神功皇后が三韓遠征の折、高麗国より貢物として献上された獅子頭に由来する子育ての張子の獅子頭である
古来より「疳の虫」や「厄」を喰い切る神獣である。
写真は神楽殿。
社殿の右手には厳島神社が祀られていた。
山名駅まで戻ると、狭い駅舎内は学校帰りの子供たちで一杯であり、ただ一人の女性駅員さんが保母さんのように面倒を視ておられたのには感心する。
高崎駅まで戻り、この日もホテル内の温泉に入った後、近くの居酒屋「和人良」に出かける。
ネットで調べたご夫婦でされているお店であるが、まだ若いマスターに聞くと奥様は子育て専念中とのことであった。
サラダ、揚げ物、鯛の兜煮などを堪能、酒は地酒の「赤城山」「巌」であり、特に後者は私の好みであった。