ここのところ雨模様の日が続き気持ちが鬱々としていたが、4月9日のこの日だけは雨が上がるとの予報を聞いて、前橋市の寺社巡りにと出かけてきた。
現役時代から出張が多く、また退職後には全国を股にかけての寺社巡りに走り回っているが、前橋市に足を踏み入れたのは何故か今回が初めてである。
大宮駅乗り換えで、前橋駅に着いたのは12時。
取りあえず駅構内のマクドナルドで昼食をとる。
ハンバーグセットで350円の安さに驚く。
写真は前橋駅舎と広い駅前ロータリー。
北口から109号線の大通りを西に向かって歩く。
市立中央小学校、前橋女子高を過ぎて右折、まず厳島神社を訪ねた。
この辺りの地名は紅雲町というゆかしくもあり艶やかな町名。
境内は小公園になっており、一本の大木が目立つ。
境内の広さに比較して社殿は質素そのものである。
鳥居、社殿が境内の奥隅に祀られ、一見して変わり映えのしない小神社に見える。
祭神は市杵嶋比売命。
創建は不詳だが元弘元年(1331年)から明治まで社殿を四回増改築されているとの伝えがあり、鎌倉時代以前の創建と考えられる。
この神社でびっくりしたのは、片隅に何気なく立っている歌碑、石仏などがそれぞれに由緒あるものと書かれていたからである。
まず万葉歌碑は柿本人麻呂の歌碑。
「おくやまの いわがき沼のみこもりに 恋いやわたらん逢うよしをなみ」
この碑のことは天保12年(1841年)の「赤城登山記」にも記載されているという。
さらにこの地は昔、柿宮といい、この歌碑を人麻呂の御宮としていたので、人々から「人丸さま」と呼ばれるようになったとある。
水神社(水天宮)は明治18年にここに移転してきた。
祭神は水波能売命。
歌碑の後ろに石造物が並んでいる。
一番手前の阿弥陀如来坐像は風化が激しいが戦国時代以前の造。
続く猿田彦命石碑、月夜見命石碑は文政7年(1824年)と明治4年造。
奥の石宮(大、小)は庚申信仰で猿を刻している。
小は明暦元年(1655年)造、大は青面金剛で「上野国車之庄柿宮郷」の文字が見えるという。
正直言って、龍海院に行く途中にあるので寄ってみただけの神社であったがが、何気ないこんな神社でこれだけ由緒のあるものに出会い、これは幸先が良いと足取りも軽やかに次の長昌寺を目指して歩く。