さらに民俗資料館、柳田国男生家の標識があるのでそちらの道に入って行く。
右手の小路を入ると「銀の馬車道」とある。
明治の初めに生野銀山と飾磨港の間49Kmを結ぶ馬車専用道路として造られた道。
あまり保存されているとは言い難い「銀の馬車道」の一部。
入り口にレトロな旧辻川郵便局の建物があったのでパチリ。
大正11年築で、国登録有形文化財。
その隣が大庄屋三木家住宅の屋敷であるが、現在は工事中であったのが残念。
平成23~31年に及ぶという長い工事である。
元の三木家住宅の写真が展示してあったので、それを写したもの。
民俗資料館に向かおうとして時計を見ると、次の電車の時間に間に合いそうもなく諦めて駅にと歩き出す。
これは全くの正解であり、ここから駅までの道が遠く、また判りずらく何度も道を聞きながら、急ぎ足でまた時には小走りしながらようやく電車の発車時刻に間に合った。
この間の街並みも印象に残る。
写真は市川の川岸の風景、これと良く似た風景を見たことがある。
そうだ、やはり播州龍野の揖保川であった。
この電車に乗り遅れると、次の電車まで一時間待ちとなる。
福崎駅のプラットホームからの風景。
義母がこの町で育ったと聞いておりそのためか郷愁を呼ぶが、90年以上前の面影は山の形のみであろう。