続いて上田城址にと向かう。
上田城は1582年に真田昌幸が築城した上田盆地の中心にある平城で、千曲川支流の尼ケ淵の河岸段丘など河川を巧みに利用した堅固な防衛陣地である。
後に徳川の大軍を二度にわたって退けた名城で知られる。
一度破壊された城を1622年に仙石氏が城主となって、1626年から上田城の再建に着手した。現在の上田城はこの時造られたものである。
その後1706年に仙石家は但馬出石に転封となり、その後は松平氏が明治まで城主であった。
写真は大手門と南櫓。ダウン
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東虎口櫓門の右手の石垣に高さ2,5m、横3mの大石があり、昌幸が築城の時に柱石として据えたもので「真田石」と呼ばれている。ダウン
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本丸跡には真田神社が建っている。ダウン
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拝殿の裏に廻ると、拝殿に比してかなり小さな本殿がある。
さらに「真田井戸」と呼ばれる直径2m、深さ16mの大きな井戸がある。左下矢印
この井戸には抜け穴があり、北にある砦と繋がっていて、敵に包囲されても城兵や兵糧を自由に出入りさせられたとの伝えもある。
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尼ケ淵に面した本丸虎口に建つのは本丸西櫓ダウン
この櫓は仙石氏が築城した当時のまま残っている。
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城址前にある観光案内所の隣の蕎麦屋に入り、天麩羅そばで腹ごしらえ。
 
さらに上田藩主舘跡も訪ねたのでここに記したい。
関ヶ原合戦後、真田信之が居館を構えたところであり、その後も仙石氏、松平氏の居館となり「御屋形」と呼ばれた。
豪壮な表門と石垣と堀が往時を偲ばせてくれる。ダウン
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表門は1790年に再建されたもので、前面に四本の角柱、中央に大板扉、左右に潜り扉を持つ。
現在は上田高校の表門となり、内には校舎が建っている。ダウン
こんな恵まれた環境で勉強できる上田高校生が羨ましくもある。
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