伽那院は中世以降には修験寺院として活動、熊野詣の先達寺院として栄え、全盛時には七堂伽藍を備え、130余の坊があったとのこと。
戦国時代は別所氏の祈願所であったが、やはり秀吉の三木城攻撃により、ことごとく焼失した。
その後、明石城主小笠原忠政らの帰依を受けて、堂宇を再建した。
写真は中門の二天門。
1651年築で、持国天、多聞天を安置。
本堂は方五間で、内陣と外陣とを格子戸と欄間で分けている。
1646年の再建と思われ重文指定。
本尊の毘沙門天像(重文)は平安時代の作風である。
写真は本堂内部外陣。
色彩豊かなのだが、ピンボケになってしまって残念。
写真は本堂正面上部の厚肉唐草模様の唐獅子と牡丹の飾り。
多宝塔は1647年、小倉城主小笠原忠政の寄進によるとされる。
方三間、二重瓦葺で重文指定。
初層は方型、二層は円型で白塗りの亀腹を持ち、蟇股と連子窓は彩色されている。
惚れ惚れする見事な美しさ。
弥勒菩薩を安置している。
写真は正面の天女。
三坂明神社本殿は杮葺の三間社流造であり、やはり重文指定されている。
創立は不明だが、社前の燈籠に1646年の銘あり。
珍しい臼稲荷社があるが、水論のしずめとされる。
土台は臼を積み重ねた珍しい社である。
おまけの写真は、境内の本堂と多宝塔。
期待していた以上に素晴らしい雰囲気のある寺院であった。
また拝観料は無料であるが、貼り紙に「境内の草を三本抜くように」とあった。
最近、金儲けばかりに走る寺院が多いなかで、誠に心根の正しい住職なんだなと感激する。
ただ境内には草はほとんどなく綺麗に清掃されており、冬季ということもあり草を捜すのに苦労した。
また紅葉の頃に是非訪ねてみたい寺院である。