すぐ近くに真行寺がある。
真宗本派の寺院、山号は中戸山。
写真は参道から。ダウン     
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 謡曲「竹の雪」の舞台であり、ワキ直井左衛門邸跡。
本堂は白壁の土蔵造り。
直江津はたびたび大火に見舞われたこともあり、防火建築として土蔵造本堂が多い。
真行寺のほか聴信寺、観音寺、林正寺、勝蓮寺、龍泉寺の六棟が見られる。
写真は本堂前面の彫刻ダウン
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さらに龍泉寺勝蓮寺と廻り、高台にある大神宮に参拝。
そのあと芭蕉が訪れたという聴信寺を訪ねるが、そのような説明板や石碑などは何もない。
本堂は蔵造りで、真宗大谷派の寺院ダウン
ここで芭蕉は宿のことで少しもめるが、夜に句会を開いたという。
その句碑や説明は、このあとの琴平神社の境内にある。
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ようやく関川の河口、直江津港が一望できる船見公園に到着。
近くにある琴平神社は船乗りや商人の守り神とされるダウン
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芭蕉の句碑があるダウン
1689年の七夕の前夜、直江津今町での句会の発句として
「文月や 六日も常の 夜には似ず」 はせを
芭蕉は直江津で二泊、高田で三泊し、五智如来と居多神社の参拝をしてから越中に旅立ったという。
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また隣の敷地に安寿と厨子王供養塔まであるのにびっくり。ダウン
二基の供養塔は越後から筑紫への途中、ここ直江津湊で母と姥竹は佐渡へ、安寿と厨子王丸は宮津へと売られて離れ離れとなる。
悲しんで身を投げた姥竹を弔って地元の人々が塔を立てた。
その後、沼に身を投げて死んだ安寿姫を悼んで傍に小さな塔を並べたという。
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かってこの辺りは海産物問屋や倉庫が軒を連ねて、直江津湊の物資の流通拠点だったという。
近くに明治時代に銀行として建てられ、「ライオン像のある洋館」と言われている高達回漕店事務所もあるダウン
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