林泉寺は1497年に守護長尾能景が菩提寺として創建。
謙信は少年時代(七歳から十四歳)からこの寺の和尚に学問・宗教・厳しい人生の薫陶を受けた。
跡を継いだ景勝の移封後も、歴代藩主である堀家、高田城主松平家、榊原家の菩提寺となり、御朱印224石を拝領し厚く保護を受けて来た。
 
茅葺の惣門は、謙信公によって春日山城の搦手門を移築したものダウン
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総門を入ると豪壮な山門が建っている。
謙信が建立したものは江戸時代に焼失し、現在は大正時代に再建されたもの。
謙信直筆の「春日山」「第一義」の大額が架かっている。ダウン
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境内には池が配されて草花が咲き乱れており、その先に本堂が建つダウン
平成9年に開創500年を記念して再建された。
宗派は曹洞宗、山号は春日山。
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本堂の左手から緩い坂道が続き、上杉謙信ほか上記の歴代城主の墓が並ぶ。
写真は謙信の墓ダウンであり、1578年に城内で亡くなった。
享年49歳。これこそ真の早過ぎる死であろう。
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横に川中島合戦戦死者供養塔が立っているのも謙信らしい。ダウン
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宝物殿には生前に描かれたもので唯一現存する謙信の肖像画、春日山城図、毘沙門天像、甲冑などが展示されていた。
 
さらに近くにあるという春日神社を探しながら歩く。
958年に奈良・春日神社を勧請したという古社。
写真は杉並木の参道と石段ダウン
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春日山城築城の時、鬼門神として山頂より遷座したもので、春日山城の名前の由来でもある。
祭神は天兒屋根命、武甕槌命、経津主神、女神比売神。
写真は社殿ダウン
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春日山城跡から林泉寺まで結構遠かったこともあり、ここから電話をしてタクシーを呼んで次に訪ねる国府別院まで行くことにした。