護国寺墓地の裏門から出て雑司ヶ谷霊園に入り夏目漱石の墓を探す。
どこにも何の案内、標識がなく、探し当てるのに苦労する。
最近は「はかマイラー」が多いとのことなので、案内板くらいは欲しいものである。
芥川龍之介もやはり墓を訪ねたが見当たらなかったと「年末の一日」に書いてある。
探し当てた夏目漱石の墓はいささか変わった形の墓であった。ダウン
鏡子夫人は「安楽椅子にでもかけたような墓」を希望したとのことだが、後世の人々の評判はイマイチである。
イメージ 1
 
続いて旧宣教師館に立ち寄ってみるも、工事中で覆いがされており、その上本日は休館とのこと。
 
都電荒川線の踏切を越えて鬼子母神堂に。
今回下調べをしていて、鬼子母神堂がこの後訪ねた法明寺の境外堂ということを始めて知った。
 
鬼子母神(法明寺の境外堂)
創建  1561年
本尊  鬼子母神
住所  豊島区雑司ヶ谷3-15-20
              
拝殿は1700年建立、入母屋造りで色彩豊かで彫刻も素晴らしい。
本殿は1664年築で流造であり、変型の権現造り。ダウン
また相の間は1700年に附け加えられたもの。
イメージ 2
 
広めの境内には仁王像、法不動堂、妙見堂、大黒天堂などが点在する。
写真は鬼子母神堂の扁額と彫刻。ダウン
イメージ 3
 
イチョウの古木とケヤキ並木の参道は見事である。
イチョウの大木は高さ30m、樹齢は600年余。
また武芳稲荷社の幟がずらりと並んでいた。ダウン
イメージ 4
 
鬼子母神堂を出たところで方角が判らなくなってしまったが、通行人に教えて頂き次の法明寺を目指す。
 
126法明寺
宗派  日蓮宗
山号  威光山
創建  810年に威光寺として創建(真言宗)
本尊  十界曼荼羅
住所  豊島区雑司ヶ谷3-18-18
 
広く立派な参道が続き、両側には観静院、玄静院、蓮光院、真乗院などの塔頭が並び、正面に木造山門が見えるといった大寺の風格が漂う素晴らしい寺院である。ダウン
池袋駅至近の場所にありながら、よくこれだけの佇まいを残したものである。
イメージ 5
 
本堂ダウンは昭和34年に再建されたもので、庫裏へと渡り廊下が続いている。
1312年に日源が日蓮宗に改宗し、その時に寺名も改称された。
鐘楼、寺務所など樹木の中に建ち、また安国堂(祖師堂)の他、塔頭を合わせるとこの一帯はすべて寺領だったことが覗える。
イメージ 6
 
法明寺の塀と広い墓地の間に小路が続き、住民の生活道路として沢山の人が通行している。
その小路の中程の右手から赤鳥居がうねうねと続き、入ってゆくと威光稲荷堂にたどり着く。ダウン
社は一間社流造であり、また小さな稲荷社が密集していた。
イメージ 7
 
その小路を抜けて北東にと道を辿ると、本立寺の境内となる。
 
127本立寺
宗派  日蓮宗
山号  清慶山
創建  1618年
本尊  曼荼羅、日蓮座像
住所  豊島区南池袋2-20-37
 
大きな南池袋公園に隣接し、結構広い敷地に墓地が広がっている。
元は法明寺の隠居所であったとのこと。
立派な木造本堂でありダウン、灯篭も多い。
榊原家の奥方の菩提寺であったので、墓碑と五輪塔が並ぶ。
また名妓高尾の墓もある。
イメージ 8