専修寺まで戻りさらに東に向かい歩いてゆく。
善国寺は浄土宗の寺院。
残念ながら境内には入れなかった。
神応寺は真言宗花山院派の寺院で、山号を御嵩山。
新しい本堂、鉄筋鐘楼、地蔵堂、庫裏などが建つ。
続いては戎神社を訪ねる。
住宅地の一角にある境内は狭いが、木造鳥居の先にレンガで囲われた社がある。
横には彦佐大明神の赤い鳥居と社が祀られていた。
さらに湊沿いに歩いて行くと天戎神社がある。
先ほどの戎神社と同じく、社はレンガを積み立てて囲ってある。
他の土地ではいままで見たことが無く、これら二つはここ特有のものであろうか。
ここから港を離れて北に向かって漁師町の中を歩いて行く。
この道が参道になっており、かなり大きな神社の境内に行き当る。
若宮神社は海の神を祀り、拝殿には小さな舟が架けられていた。
本殿はブロックで囲われている。
境内社として皇太神社、猿田彦社、稲荷社として正一位若宮稲荷、木葉稲荷がある。
すぐ隣には宝蔵寺の境内が広がる。
白塀には三本線がある。
1396年に本尊毘沙門天を祀ったのが始まり。
脇士吉祥天、膳貮師童子像は運慶作とか。
真言宗天竜寺派の寺院、山号は海門山。
立派な本堂のほか地蔵堂。
「雌鹿の松」2代目とある。
林守の浜の雌鹿と小豆島の雄鹿は仲の良い夫婦であるが、ある嵐の晩に雌鹿が漁師の過ちで命を落とした。
なかなか嵐が治まらないので雌鹿を弔い、若松を植えたところ嵐が治まったとの古事による。
住宅地の中の三差路の小路に社が建っていた。
厳島神社と名崎稲荷社であり、かなり古い社であった。
そろそろお腹もすいてきたので大通りに出ようと歩いていると、離れた左手の畑の中に祠が見えた。
通り過ぎようと思ったがどうも気になるので、訪ねようとするも道がない。
近所のおかみさんに聞くと、畑の畦道を通り、ぐるりと廻ると行けるとのこと。
まさに陸の孤島と言った感じの小さな境内。
小山のようになっているのが、船土城跡の本丸跡。
船土城は室町時代から赤松氏、別所氏、高山右近などの居城となった。
古城御大神が祀られている。
ようやく大通りに出ると、うどんの看板が目に入る。
その「ふじきち」に入ると多くの客で一杯。
見るとほとんどの人が大鉢に入った「カレーうどん」を食べている。
私もつられて注文、とても美味しかった。