神戸の義母宅の滞在中に、姫路市白国地にある随願寺等と、高砂市の生石神社を訪ねてきた。
 
随願寺への交通を、姫路の観光案内所で聞いたところ、播但線の野里駅で下車しタクシーで訪ねるのがベターとのこと。
随願寺まで行くのならば、広峰神社も訪ねることにした。
 
姫路からも増位山、広峰山の山並みが一望でき、一帯は海抜260mの丘陵地である。
随願寺はこの増位山山上に建ち、九十九折りの坂道を登ってゆくことになる。
 
創建は聖徳太子の時代とも、奈良時代とも伝わる古寺で、現存する市内で最古の寺と言われる。
高麗僧の恵弁が開山。
歴史をひも解くと、在原業平が勅使として訪ね、白河上皇の行幸、清盛が金堂改築とある。
かっては三十坊を数える大寺院だったが、1573年に別所長治に攻められ焼失。
1585年に別所氏を滅ぼした秀吉により再興された。
 
四方を深い樹木で囲まれた境内は、下界とは隔絶された静寂の中にある
 
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境内の入り口に榊原忠次の墓所があり、この忠次の墓所の優美な唐門は重文指定。(写真アップ
榊原家は徳川四天王の一つで、忠次は17年間にわたり姫路城主であった。
碑文には彼の業績が3000字刻まれている。
 
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堂々たる本堂(写真アップ)は細部の造りも精巧であり、重文指定されている。
1666年に姫路城主榊原忠次が建立。
本尊は薬師如来、脇侍の毘沙門天立像などは収蔵庫に安置。
宗派は天台宗。
 
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経堂(写真)は正堂と礼堂を並べた形式のお堂を変化させたもので、重文指定。
撞木造りで1761年と1763年の銘あり。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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鐘楼(写真)は1718年築で、重文指定。
廻縁付の袴腰付鐘楼で、見映えが誠に良い。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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少し離れたところに開山堂(写真)が建つ。
方三間堂であり、1654年と1641年の墨書が出てきた。
当寺院では最も古い建物で重文指定。