白石市は伊達家家臣片倉小十郎の城下町として名高い。
白石の歴史をたどれば、後三年の役で源義家に従った刈田経元が白石城を築き、その後奥州藤原氏、北条氏、白石氏、蒲生氏、上杉氏などと城主が変わり、その後伊達家になって片倉家が260年の長きに亘り城主であった。
また片倉小十郎は政宗の傳役をつとめたが、その武勇・智謀は秀吉、家康からも愛され特別な待遇を受けたという。

この日はまた特別に暑い日であった。
そのため取りあえず、タクシーに乗り傑山寺、清林寺、常林寺から片倉家御廟所と廻り、武家屋敷跡で降りて、後は歩いて廻るというコースをとった。

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傑山寺は臨済宗の寺院で、片倉家歴代の夫人の墓がある。
入り口も禅寺らしい整然とした造りで、境内の伽藍もすべて新しく、庭園も幾何学的に造られていた。(写真)
創建は1608年。
入り口にある観音堂には十一面観音を安置。
また横綱谷風の墓もある。

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裏山の墓地を登ってゆくと片倉小十郎の墓標があり、大きな一本杉が植えられていた。(写真)
敵に見つからないように一本杉を墓印とし墓標を造らなかったとのこと。
花などが供えられ、地元での小十郎崇拝の程が覗われる。

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すぐ近くにある清林寺は山号を法浄山、真宗本派の寺院。
1634年、真田幸村の遺臣三井奉膳が開基。
山門を入ると新しい本堂のみ。(写真)

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さらに道を隔てて境内を接する常林寺は時宗の寺院。
真っ赤な竜宮門がひときわ目立つ。(写真)


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境内は草花で埋め尽くされて、その中に本堂が静かに建っていた。(写真)
早咲きの桜の古木もある。


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片倉家御廟所は市内のはずれの小高い山の中腹にあり、坂道を登って行く。
石造玉垣に囲まれて、石畳の上に10体の石像と一基の墓碑が、小十郎の墓碑を中心にして左右にずらりと並ぶといった変わった形。(写真)
その参道近くにポツンポツンと墓があるのは、家老か腹心の部下だったのであろうか。