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龍潭寺のすぐ南隣に西洋式の整然とした生垣が続く清涼寺がある。
1602年、初代井伊直政の墓所として創建され、井伊家の菩提寺である。
山号は祥寿山、曹洞宗の寺院。
写真は山門前から。

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境内も実に整然としており、京都の大寺風な佇まい。
だだっ広い境内に本堂(写真)、客殿などの堂宇は壮大でありまた新しい。
江戸期には修行道場として全国的に名高く、最盛期には200余名の雲水が修行していたという。

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客殿の柱の太さには圧倒された。(写真)
奥に井伊家墓所があるようであるが、今回はなんとなく気が乗らずパスする。


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境内の一角に長林稲荷神社があり、朱の鳥居が並んでいた。(写真)

ここから一旦、踏切を渡って南に歩き、さらに大通りを南方向に歩いて再び東海道線の陸橋を渡って、天寧寺を目指す。
思っていたよりもかなり遠く、途中の消防署で道を訪ねながらようやくたどり着いた。

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天寧寺は井伊直弼の父十一代藩主直中が、腰元の不義の噂の相手が長男直清とは知らずに手打ちしたが、後に腰元が宿していた初孫共々菩提を弔うために1819年に建立した。
考えてみると昔の殿さまは勝手気儘が許された、今では考えられないとんでもない特権階級だったことが判る。
写真は仏殿。

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天寧寺は五百羅漢寺として有名である。
仏殿内の三方に羅漢像がずらり並ぶ様は圧巻である。(写真)
山号は萬年山、曹洞宗の寺院。

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その仏殿の裏側に大きな布袋尊像がある。
高さは1,2mで重さ300Kgと木造では日本一の布袋様とのこと。
また本堂前には羅漢石庭が作庭されていた。(写真)

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さらに境内には「花の生涯」で御馴染になった「井伊直弼の供養塔」「たか女の碑」「長野主膳の墓(写真)」などもある。