村上駅から市内観光に出かけようと思った矢先、突然大雨となる。
タクシーに乗り観音寺に立ち寄りて、町のはずれにある宮尾酒造でタクシーを降りて、その後は歩きで市内観光をすることにした。
タクシーに乗り観音寺に立ち寄りて、町のはずれにある宮尾酒造でタクシーを降りて、その後は歩きで市内観光をすることにした。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/83/ed/j/o0389029214527131429.jpg?caw=800)
観音寺に着いた時も雨。
観音寺は日本最後の即身仏があることで知られている。
しかし私は怖さも手伝い、こういうのは誠に苦手である。
仏海上人は明治36年に座禅をしたまま死去。
その後、放置されていたが昭和36年に発掘されたとのこと。
写真は山門。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/93/00/j/o0389029214527131441.jpg?caw=800)
観音寺は山号を大悲山、高野山真言宗の寺院で、開山は1282年。
現在は無住寺で留守番の方から案内説明をして頂く。
写真は本堂。
宮尾酒造は私の大好きな清酒「〆張鶴」の蔵元である。
思っていたよりもずっと狭い直売所であったが、それよりも買いたいと思った酒はすべて売り切れで、一年前に予約しないと手に入らなかったのが残念。
仕方なく良さそうなものを選び、私の正月用と、「砂々良」のマスターへのお土産用にと買い込む。
思っていたよりもずっと狭い直売所であったが、それよりも買いたいと思った酒はすべて売り切れで、一年前に予約しないと手に入らなかったのが残念。
仕方なく良さそうなものを選び、私の正月用と、「砂々良」のマスターへのお土産用にと買い込む。
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/01/d7/j/o0389029214527131455.jpg?caw=800)
宮尾酒造を出ると、先ほどの雨がウソのように止んでいた。
ここのすぐ隣にお堂があるが、抑当延命地蔵堂で、1618年からここにあり、お堂自体は1886年の再建とのこと。
境内には大きな「湯殿山」の石碑と共に、九品仏の一体が立っていた(写真)。
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/06/6c/j/o0389029214527131468.jpg?caw=800)
歩きはじめて最初に、やはり九品仏の一体がある一心山専念寺に行き当った(写真)。
この九品仏は1758年、藩主内藤信興が鎮護にため、市内9ケ所に建立したという。
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/8e/a6/j/o0389029214527131473.jpg?caw=800)
続いては「まいづる公園」に保存されている旧岩間家住宅と旧嵩岡家住宅(写真)を訪ねた。
いずれも茅葺でここに移築保存されている。
この嵩岡家住宅は、雅子妃殿下の実家小和田家と縁がある。
小和田家の先祖は旧藩主内藤家の藩士であり、雅子様の曽祖父はこの旧嵩岡家住宅で暮らされていたという。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/d6/34/j/o0389029214527131481.jpg?caw=800)
さらに近くに建つ若林家住宅を訪ねた。
若林家は村上藩内藤家の奉行職を務めた、中級の上といった家格だったとのこと。
そのため前に見た岩間家、嵩岡家よりも、間数が多く造りも格段と立派である。
写真は茅葺き門。
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/e3/d4/j/o0389029214527131490.jpg?caw=800)
若林家住宅は江戸期からこの場所にそのままあったという。
建物はL字型の曲り屋で、屋根は寄棟、茅葺である(写真)。
その保存状態の良さなどから重文指定されている。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190809/12/tenpleandcinema/d1/14/j/o0389029214527131494.jpg?caw=800)
由緒や内部については案内の方より丁寧に説明して頂く。
建築年代は不明だが、1800年よりも前と推定されるとの由。
南面にはお城山を借景とした庭園もあった(写真)。