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瑞龍寺入り口の道を北に向かってゆき、小さな川を越えた辺りにある法性寺を探す。
既に廃寺になっているようで、石柱門の寺標ははぎ取られており、荒れ果てた建物が建っているのみであった(写真)。

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さらに小川に沿って西に歩くと槌宮神社の境内に出た。
境内をJR城端線が横切り分断されている。
木造拝殿の後ろに石橋があり、ちいさな本殿があるという変わった配置になっている(写真)。
祭神は意富斗能知尊、大戸之辺尊。

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さらに線路を渡ったところに総持寺がある。
塀周りには六十六部の石仏があり、そのうち39体が残っている。
写真は山門前と石仏。

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山号は衆徳山、高野山真言宗の寺院。
曼荼羅堂の本堂(写真)は2003年に再建されたばかりで新しい。
前田利長の祈願所であったので、彼が高崎城移住の時現在地に移ったとされる。

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観音堂(写真)は三方がガラス張りで珍しい。
安置されている千手観音菩薩像は1353年作で重文指定されている。
また鐘楼、宝筐印塔などもある。

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さらに北に歩くと広い前田通りに出た。
すぐ左に蓮光寺がある(写真)。
新しい鐘楼門、木造本堂が建っていた。
山号は常習山、浄土真宗大谷派の寺院で1491年の創建。

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JR城端線の踏切の手前には天景寺がある(写真)。
山号は家久山、曹洞宗の寺院で戦国時代の創建。
狭い境内に本堂のみ建つが、愛宕権現も祀る神仏習合の寺院とのこと。

ここから高岡駅に戻る。
まだ時間が40分ばかりあるので、北口に回り土蔵造り町並みを見るべく路面電車に沿って歩いてゆく。
この路面電車はその名もゆかしい万葉線と名付けられ、新しい赤い車体の電車が走る。
アーケードの商店街が長く続き、町の懐の奥深さを感じる。

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源平町(名前だけで嬉しくなる)をさらに北に歩くと古い土蔵造りの町並みに出る。
かっての北陸道に当り、伝統的建造物群保存地区に指定されているが、しかし土蔵造りの家はあまり残っていない。
その中心が菅野家住宅であり重文指定(写真)。

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時間が迫ってきたので駅まで歩いて帰ると、駅前広場に大伴家持の像が立っていた(写真)。
大伴家持の像を見るのは初めてである。
746年から越中国守として、ここ高岡市伏木古国府に五年間赴任していたことにちなみ建てられた。
なお在任中、220首もの歌を詠んだとのこと。
かたかごの花をよぢ折る歌
「もののふの 八十をとめらが挹みまがふ 寺井の上の かたかごの花」

高岡駅から特急に乗って加賀温泉駅に15時40分に到着。
とりあえずホテルにチエックイン後、温泉で汗を流す。
夕刻、五人が無事揃い、楽しく会食し昔話、近況に花を咲かせる。
この日の道程は17000歩。