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安土の旅の終わりは浄厳院。
実った稲穂と畑に囲まれた、のどかな田園風景の中に溶け込むように、はるか浄厳院の堂宇が見える(写真)。
郷愁を呼ぶ景色である。

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この浄厳院は天正7年の信長による、浄土宗と日蓮宗の安土問答の場として有名。
信長が浄土宗に加担したため決着がつき、以来浄厳院は末寺400余寺を数える寺院として栄えた。
山号は金勝山、浄土宗寺院。
写真は赤い楼門。

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1578年、信長により開基。
境内は広くゆったりとしており、正面に木造本堂が建っている(写真)。
室町時代後期の建築とされ、この建物も信長が多賀町の興隆寺から移したもの。
入母屋造りで桁行7間、梁間6間とかなり大きい。
本尊の阿弥陀如来と共に、重文指定されている。

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本堂右手には宝形造りでっている1703年建立の不動堂(写真)、袴腰付き鐘楼(1742年建立)などが並んで建っている。


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本堂左には立派な中門があり、客殿、庫裏の大きな建物が見えるが入れない(写真)。
また裏手には子院や、小さな庭園、新しいお堂も建っていた。
なおこの地は元、佐々木六角氏の建てた慈恩寺の跡地であり、その名は今も町名として残る。

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浄厳院を出て、安土駅前の観光案内所にてタクシーを下車。
しかしまだ4時半過ぎなのに、何故か閉館していた。
折角「火天の城」の半券を持って来たのに、投票できず残念。
安土駅前にシンボルである信長の銅像が立っていたので一枚パチリ。

駅前の和菓子屋さんで、でっち羊羹他のお土産を買って、神戸の義母宅にと向かう。
この日は20000歩の道程であったが、安土城址をはじめ急石段を何回も上り下りしたためすっかり草臥れ果てた。
その上、三ノ宮までの長道中でもあり、珍しく缶ビールを飲む。