大内神社からさらに東に歩き、国道2号線から北の道をとると、次第に険しくなる坂道が、くねくねとどこまでも続いている。
わりと健脚の方である私でも歩き始めて40分過ぎた頃には、炎天下でもあり、また険しい坂道でもあり、汗だくとなり引き返そうかなと弱気になってきた。

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50分近く歩いた頃、ようやく仁王門(写真)が見えてきた。
足利義満が1400年頃に寄進したもの。
三間一戸の八脚門で豪壮な造り。
しかしこの仁王門からまたしばらく坂道を登ることに。

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福生寺は山号を大滝山、高野山真言宗の寺院。
奈良時代の754年、鑑真和上が開山。
木造本堂は1682年の再建。
13m四方で一間の向拝付き、入母屋造りの大堂である(写真)。

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また本堂の右手後ろに大師堂が建つ(写真)。
三間四方の宝形造りで、本堂と同時期の再建
また本堂の左奥には経堂があり、右前には鐘楼が建っていた。

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さらに右手の坂道を登ってゆくと目指す三重塔が建っている(写真)。
周囲は樹木のみの高台にあるため、山陽本線の車窓からも遠くに望まれる。
高さは19,72mと大きくはないが、各層の反りが深く端正な造り。
足利義教が1441年に建てたもので、重文指定。

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さらに奥に小さな明王堂があり、塔頭の実相院が質素な佇まいを見せている(写真)。
門をくぐると、本堂と小さな庭が設えてあった。


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また本堂まで戻り、今度は左手の川沿いにある塔頭、西法院を訪ねる(写真)。
石灯篭が並ぶ細い参道を登ると質素な民家があるのみ。


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さらに川に沿った高台に護摩堂があり、一番奥に川にせり出すように弁天堂が立っている(写真)。
「天女閣」の扁額があり、円光院とある。
この福生寺は最盛期には、三十三坊を数えたが、今は三ケ院が残っているのみである。

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最後に本堂の左手にある塔頭福寿院に立ち寄る。
丁度、本堂を改築中のようで、住職さんが指揮をとっておられる。
写真を撮ることの許可を頂き、また話が弾み、ここまで歩いてきたことを話すと、それは信じられないとびっくりされた。
それでは駅方面に出かける用事があるので車で送りましようとの、暖かいお言葉を頂く。
例えは悪いが「地獄に仏」とはこのことであった。
写真は福寿院と、親切な住職さん。

伊部駅に行く途中、大きな池の傍を通った。
学生時代から大阪・東京に往復時、いつも車窓から眺めていた池であり、「備前の焼物の里」近くなので一度は訪ねてみたいと思っていた。思いがけなく夢が叶い、感激。
聞くと、この池は人工池とのこと。

伊部駅内にある喫茶店で遅い昼食を取り、ようやく人心地に戻る。
それにつけても福寿院の住職さんには感謝、感謝。
心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

これで赤穂線沿いの訪ねたいと思っていた寺院は、一応訪ね終わったことになる。
赤穂市の花岳寺、大石神社ほか、真光寺、餘慶寺、西大寺、そして福生寺。

続いては再び赤穂線に乗り、岡山を訪ねた。