ここ谷中周辺には寺院が密集しており、上野公園から根岸にかけて110ケ寺以上ある。
何故なのか調べてみると、まず上野に寛永寺ができたので、各大名がこぞってこの地区に子院を建てたのが始まり。
また徳川幕府の政策により慶安の頃、神田付近の寺院を多く移転させた。
さらに明暦の大火で、焼失した寺院がここに移転してきたことなどによるという。
よって檀家は江戸各地に散らばっており、そのためこれだけの寺院が自立してゆけたのであろう。
こうして谷中地区は墓参客で大いに賑わい、町屋が広がっていったとされる。
何故なのか調べてみると、まず上野に寛永寺ができたので、各大名がこぞってこの地区に子院を建てたのが始まり。
また徳川幕府の政策により慶安の頃、神田付近の寺院を多く移転させた。
さらに明暦の大火で、焼失した寺院がここに移転してきたことなどによるという。
よって檀家は江戸各地に散らばっており、そのためこれだけの寺院が自立してゆけたのであろう。
こうして谷中地区は墓参客で大いに賑わい、町屋が広がっていったとされる。
護国院を出て、北に歩くと信号があり、ここから先が谷中となる。
その信号の四つ角に一乗寺がある。
その信号の四つ角に一乗寺がある。
39一乗寺
宗派 日蓮宗
山号 大法山
創建 元和年間(1615~24年) 日僚が建立
住所 台東区谷中1-6-1
宗派 日蓮宗
山号 大法山
創建 元和年間(1615~24年) 日僚が建立
住所 台東区谷中1-6-1
狭い境内ながら山門、本堂、客殿が同じ造りであり見事に調和のとれた伽藍が並ぶ。
写真は山門。
木造本堂は小ぶりである(写真)。
その右手前に見えるのは祖師堂。
流れ造りで宮殿と呼ばれる。
本堂左手に大きな客殿、庫裏などが連なる。
客殿は千鳥破風、唐破風と二段破風屋根であり、優美かつ豪華(写真)。
庭園は非公開。
一乗寺から大通を西に行くと、ずらりと寺院群がならんでおり、その中に玉林寺がある。
40玉林寺
宗派 曹洞宗
山号 望湖山 院号 香竜院
創建 1591年
住所 江東区谷中1-7-15
40玉林寺
宗派 曹洞宗
山号 望湖山 院号 香竜院
創建 1591年
住所 江東区谷中1-7-15
石柱門を入ると参道の両脇に鬱蒼とした樹木が並ぶ。
正面に樹木に囲まれて木造本堂(写真)が建っている。
本堂裏にある樹齢600年のスダジイは高さ9,5mとのこと。
写真は境内にある立派な石造五輪塔。
41臨江寺
宗派 臨済宗大徳寺派
山号 龍興山
創建 寛永7年、
住所 台東区谷中1-4-13
宗派 臨済宗大徳寺派
山号 龍興山
創建 寛永7年、
住所 台東区谷中1-4-13
玉林寺を西に歩き次の信号を右折して、しばらく歩くと右手に臨江寺の境内。
写真は木造山門。
境内には手入れされた庭木が並び、中央に木造本堂が建っていた(写真)。
ちょうどお掃除中だった住職さんより、親切にも谷中寺院マップを頂く。
当寺の墓地には蒲生君平の墓があると聞いたので探すが、なかなか見つからない。
ちょうど墓参に訪れていた人に案内していただく。この方に案内して頂かなかったら恐らく判らなかったであろう。
墓といっても大きい石の墓碑であり(写真、後ろは親切な女性)、何の案内板もなく石碑の文字もすり減っていてよく読めなかった。
なお蒲生君平は「寛政の三奇人」と言われた一人。