南宗寺を出て、阪堺線の通りに出る。
阪堺線には45年前に堺に転勤して住んでいた時、毎日通勤に利用していた。懐かしい!
まずは御陵前駅近くの船待神社を訪ねた。

イメージ 1
船待神社の祭神は天穂日命、菅原道真。
最初は塩穴神社と称していたが、道真が大宰府に流される途中、ここで船を待つ間、参拝し松や榎を植えたという故事由来を持ち、風雅な名前もここから付いた。
水掛不動明王堂のほか琴平、春日、豊倉稲荷、瘡神社などの末社あり。
写真は鳥居と、奥に社殿。

いままで晴れていた空模様が急におかしくなり、また時間も迫ってきたので、タクシーでワンメーター、宿院町に出る。
この時のタクシーの運転手のマナーは最低だったが、なにしろ泉州ナンバーのタクシーだから我慢の一手しかない。
その乱暴さ、恐さはとっくに経験済みである。

イメージ 2
続いて開口神社を訪ねる。
行基によりこの地に念仏寺が建立され神仏習合の霊地となり、当神社は大寺と呼ばれ堺の町と共に発展してきた。
祭神は塩土老翁、配神としてスサノオノミコト、生国魂命。
写真は商店街側からの西入口。奥に見える朱の大鳥居が正面入口。

イメージ 3
由緒を見ると、神功皇后2年、地元の老漁師が赤目の魚を献じた。これを吉兆として塩土老翁神を祀ったという。この神は海上交通を守る神であり、塩を司る神でもある。
写真は鮮やかな朱の社殿正面。

イメージ 4
境内には沢山の摂社、末社がある。
写真にあるのは薬師社、舳松、松風神社でその他、豊竹稲荷、白髭、賽、竃、熊野、厳島、兜、三宅八幡、琴平、神明、豊受、産霊、北辰、大国、恵比寿、少彦名、舟玉、楠本神社等々。
おなじみの名前から懐かしい名前まであれば、初めて聞く神社もある。

イメージ 5
時間も迫ってきたので最後に祥雲寺を訪ねた。
1625年に沢庵和尚により瑞泉寺として創建され、1622年に祥雲寺に改称。
入口はそれなりに寺院らしさが見られるが、境内は民家の生活臭があり、びっくり(失礼)。
写真は本堂前。

イメージ 6
余程、このまま帰ろうかと思ったが、庭園があるのを思い出し、本堂横に廻ると、枯山水の庭園が三面にわたって作庭されていた。
ただ樹木が少ないため、借景にビルが写り、写真を撮るのに一苦労(写真)。
土塀寄りに石組みを配し、白砂が広がる江戸初期の枯山水庭園。
春場所、出羽の海部屋の稽古場でもあるため、ここも幟がたくさん立っていた。

本来ならば花田口の寺院群まで廻る予定であったが、途中で道に迷ったのと、空模様も怪しくなり、新幹線の時間も考えてここら辺りでタイムアップ。
この日の道程は22000歩と、この日もかなり歩いたことになる。
新幹線の中でビールを飲むと、また疲れと共に幸福感やら満足感も出てきたので、自宅近くの寿司屋に立ち寄りこの旅の打ち上げをする。
最後の花田口の寺社を残したが、制約された時間内の割には、ほぼ当初の予定通り廻れることができた。
倉敷の町も堺の町も夫々に歴史を持っているため、思いがけない名刹、古刹にめぐり合えたことに感謝。この日も美味しいお酒であった。