太宰治さんがどこかで、「うちに帰りたい」と、うわごとのように言ったが、自分でもどの「うち」に帰りたい、と思って言ったものかはっきりしない、みたいな文章を書いていた気がするのだが、その記憶はあいまいだ。
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僕は以前に、自分の名前を付けていただいた神社で、こんな話を聞いた。
何か嫌なこと、大変なことに巻き込まれても、「ああ、良かった!」とまずは大きな声で言ってみるのだ。
「何が良かった」のか、それは、後付けで構わない。
私などは、高級車と正面衝突事故を起こしたが、そのときも「ああ、良かった!」と大きな声で言った。
実際、私も相手方も命に別状がなかった。ああ、良かった!
くどいが、私は昨年の四月末に義兄などから会社を追い出された。
このときの私にも「ああ、良かった!」と大きな声で言うぐらいの余裕が欲しかった。
実際、私自身はかすり傷負わず生きていた
ほんの短い間沼ったTwitter(現X)で、(私が会社を首にぬなったとて)「別に太陽が燃え尽きたわけでもなかろうに」みたいな意味の短歌をいただいて、みたときには「他人事だと思って」という思いも抱いたが、やはり、「ああ、良かった!」と大きな声で言うべきだったのだろう
実際、太陽は燃えている。
会社を首になったおかげで、自分の可能性について考える機会を与えられた
当然、私自身「井の中の蛙」で、「裸の王様」的な側面もあったから、広い社会の中で自分の無力さを痛感することも多々あるが、それでも、自分の可能性が大したものではないと悟ったあとでも、挑戦したい、という気持ちは「裸の王様」には決して訪れないし、味わえない心境であり環境であり、「ああ、良かった!」と感謝するしかない
今後も、どんな状況に陥っても、まあ、確かにはじめは混乱やあきらめムードに支配されても、そのままの、負の気持ちにはどっぷり浸からず、そこから抜け出して、アメーバのように、しぶとく、自分の体を、考えを、自由自在に柔軟に変えて、自分に訪れる危機を、都度、脱出していきたい
それこそ、金魚鉢に藻を投げ込んだときの数刻の混乱がすぐに落ち着くように(こんな文章も太宰治さん、書いてた気がするのだが)