東京文化会館で読響も加わって本番に向けての日々です。

演目はワーグナーのさまよえるオランダ人
オーケストラは、
NHKにつぐ評判を誇る読売交響楽団

今日はワーグナーが描く女性像を想像するヒント

ワーグナーといえば、ヴェルディとよく比較されますが、その作曲スタイルには大きな違いがあります。
ワーグナーは交響曲や管弦楽曲にも精力的に取り組み、“歌ありき”ではない音楽の世界も追求した作曲家でした。

《さまよえるオランダ人》は、ワーグナーが20代終盤に作った作品。
一般に「成熟した作曲家」というイメージの強いワーグナーですが、この作品にはむしろ若々しい感性が溢れているように思うのです。
(それでもやはり“ワーグナー”の世界なのですが…)

《さまよえるオランダ人》初演情報

指揮:ワーグナー自身
オランダ人:ヨハン・ミヒャエル・ヴェヒター(バリトン)
ゼンタ:ヴィルヘルミーネ・シュルーダー=デフリエント(ソプラノ)
エリック:カール・ラマー(テノール)
ダーラン:カール・フリードリヒ・ブリューム(バス)

この中でも、歴史的に最も著名なのが、ゼンタ役の シュルーダー=デフリエント です。



ワーグナーとシュルーダー=デフリエント


彼女は、ワーグナーが「歌劇作家として生きる」決意を抱くきっかけになった歌手とされています。
その歌声と舞台での表現力は、後のワーグナー作品に不可欠な要素となりました。


でもその影響の深さが語られています 


また、彼女はモーツァルト《魔笛》で夜の女王ではなくパミーナを演じたことでも知られています。

♪クララ・シューマンとの深い友情

13歳のクララ・ヴィーク(後のクララ・シューマン)は、《フィデリオ》でウィルヘルミーネが演じたレオノーレに衝撃を受けたと記録されています。

そのときクララは次のように書いています:
「このシュルーダー=デフリエントのレオノーレは、私がこれまでに見た中で最も力強い女性像であり、芸術における私の理想となった。」 

その後、2人は深い友情と信頼で結ばれるようになりました。クララは、後にウィルヘルミーネについてこう記します:
「あなたが女性としても芸術家としても、どれほど深く敬愛しているかは、目を見ればわかるでしょう。」 

さらに、彼女はウィルヘルミーネを心から評価し、人生や芸術における重要な存在として描いています。

1848〜49年にかけては、ドレスデンでクララが主催したコンサートにウィルヘルミーネが出演し、ピアノと声で共演する場面も多く見られました。互いの才能が交差し、音楽的な糧となった時期です 

また、ロベルト・シューマンの歌曲集『詩人の恋(Dichterliebe)は、彼女に敬意を込めて献呈されたと伝えられます 。

女の愛と生涯も、そもそも彼女が歌う事が想像されて作曲されていると考えるのが一般的です

クララの最後の書簡

録音は残っていませんが、クララの書簡や日記にたびたび登場することで、その存在感と影響の大きさがうかがえます。

「明るい音色を持ちつつ、演劇的な表現力に優れたソプラノ」として記録に残されいます。

2人は1855年にベルリンで再会し、1858年にも会談を果たします。ウィルヘルミーネは共演を提案しましたが、彼女の体調はすでに優れず実現しませんでした。1859年3月12日には最後の手紙をクララに送り、「あなたには私の熱意を理解してもらえていない」と苦悶を綴っています 

彼女は1860年1月26日に逝去しましたが、クララにとって彼女は「芸術の理想」であり続けました 

ヴェルディが自身の恋愛体験から悲劇的なソプラノ像を描いたのに対し、ワーグナーはシュルーダー=デフリエントという舞台上の存在からインスピレーションを得て、尊敬するソプラノを念頭に、新しい“演技と音楽の総合芸術”を書き上げました。

《さまよえるオランダ人》でゼンタに与えられた重要性は、その象徴とも言えます。演出的にも音楽的にも、まさに「ゼンタありき」の作品です。

だからこそ、ワーグナーにとって、シューマンの歌曲に影響を与えたこのソプラノを念頭においた、この初期のオペラ作品は需要です

シューマンの歌曲も、ワーグナーのアリアも歌いこなしたウィルヘルミーネの為に書かれたオペラ

どの様なソプラノに、どの様に歌われるのか、そんな聞き方も、ワーグナーの楽しみ方かも知れません