ごきげんよう。

先日、私は彼と上野界隈の寺社巡りをしました。この日は摩利支天徳大寺さま、不忍池辨天堂さまの次に、清水観音堂さまに参拝をしました。不忍池辨天堂さまを背にして歩いていたところ、不忍池辨天堂さまと清水観音堂さまの間にある階段に、6、7人の外国人観光客がいて、階段の中程に横並びに座り込んでいて、完全に片側上りの通路を塞いでいました。なので、そこを通る皆が逆側に逸れなけらばならず、通り過ぎてから私は彼に「あんなん!絶対にダメ!」「日本人は大人しいから文句を言われないとでも思って、アイツらナメてんだわ!」と文句を言いました。すると、温和でスルースキルが身についている彼は全く意に介していなかった様で「まあね〜」とスルーしていました。この反応の違いは多分、正義感や自信の有無、それから、おっとりとしていて普段、馬鹿にされがちな私のコンプレックスが刺激されて強く現れたのだと思います。また、その旅行者達も、単に道を塞いではならないという文化や感覚がそもそも異なるのかも知れないなと後から思いました。それから、私は基本的に外国人観光客の方には日本旅行を楽しんで行ってもらいたいと思っている反面、こうして何かあったとしても英語が話せないと文句も言えないのかと悔しく思いました。ただ、今回の事に限らず、世の中には色んな人がいて、良かれと思った事が思い通りの結末を迎える訳では無いので、何かあったらその場の管理者伝えるのがベターだと結論づけました。そして、そんな思考も清水観音堂さまの手水舎で心身を清めることによりリセットをされて、お堂の中では尚のこと心を整えて仏様に手を合わせたり、蝋燭をお供えしたりしました。また、最後に授与所で古いお守りを納めて、新たに頂きましたが、私は少し多めにお渡しをして、お釣りは古いお守りのお焚き上げ代にして頂きました。そして、この様な対応は比較的都心の寺社に多い気がします。

それでは、ごきげんよう。











参考にさせて頂きました皆さま

どうもありがとうございます。