ごきげんよう。
私が鬱の時には体重が激減して1階から2階の自分の部屋に戻るのにもやっとで、階段の途中で休憩しながら上っていました。しかしそんなことは他人は知らないので親戚、近所からお見合いの話が頻繁にきていました。新たなお見合いの話しを母親が受けて私にどうするか聞いて来ました。その時は側にいた父親が『今、〇〇ちゃんは体調が悪くてそれどころじゃないんだから…。』と諌めてくれました。すると母親は『そういえば痩せたね〜。』と父親に話しを合わせるように答えていましたがその実、私の変化についてはよく分かってないようでした。と、いうより関心そのものが無いようでした。その後、母親はひたすら父親に自分の職場の愚痴を一生懸命喋っていました。また別のある日、母親は雛祭りの2日後くらいにまだ飾ったままだった私の男雛と女雛について『早く仕舞わないと行き遅れちゃうよ〜。』と私の顔を下から覗き込むようにして言って来ました。その時の母親の悪意に満ちた顔に私は心傷付きました。母親自身が心に闇を抱えていて常に欲求不満の状態にあり、大人しい私はその憂さを晴らすはけ口にされていたのです。外出時にたまたま道で母親とすれ違いましたがその表情は険しく何かを考え込んでいるようで私の存在には気付きませんでした。ある本に悩んでいる人の比喩として救急車に乗っているようなものだと書かれていました。その人には平等の意識は無くてまず自分が優先されるべき存在だと思っていると書かれていました。そのような人に我が身、我が人生を捧げたところで自分の人生を棒に振るだけになります。母親は不幸な人なのかも知れませんが、せめて私は幸せになりたいと思います。朝、起床の直前に恐らく私を守護して下さる存在から『ただあなたが幸せになればいい』とのメッセージを受け取ったことがあります。その時は自分が結婚して家を出てしまったらこの家はどうなってしまうんだろうと悩んでいた時期だったので、ほっとして肩の荷が下りた気分でした。毒親家庭という泥舟で全滅するよりは誰か一人でも助かって人様のお役に立てるような生き方をした方がいいと今の私は思っています。また私が幸せになることによって家族が自分の愚かさに気付いたり、自分も幸せになろうと思ってくれたらいいなと思っています。
それではごきげんよう。