魂の世界からみた家族(初出:2012/10) | てんのいと(天の意図)

てんのいと(天の意図)

実践から知り得た真実・・・そこには民族や宗教というカテゴリーは存在しない・・・
ただ【魂の法則】があるだけ・・・
*立証するためのオーブ写真・動画・録音などたくさん記録いたしました。
被験者と共に実体験から得た本当の魂の世界。

私は時々、霊魂との会話をブログに

書き込んできましたが、

 

これらの話は、本当にほんの一部で、

魂との会話・オーブ写真だけを観ると、

ただのオカルトブログです^^;

 


 

しかし、

ここには病や原因不明の体調不良など病んだ人が

必ず関わっていました。

 

 

私はこの力を病の改善に役立てているのです。

 

腎臓透析と診断され寸前のところで突然、回復したり、

胆石やガン細胞が消えたり・・・、

 

ニトロを服用していた心臓が回復したり、

原因不明の病の回復など

説明のつかない様々な結果が出ました。

 

 

実際に今も

医学的に限界のガンの方などとも関わっています。

 

この方の身体は施術のたびに反応しています。

これも本人・傍にいるご家族には

理解できること。

 

 

病の全てが霊魂に関係していると

考えるのは危険ですが、

全く関係ないとも言えないのです。

 

 

実際、{緩和ケア}の域に入ると

突然スピリチュアルなことや宗教的な部分での

ケアが必要になるようです。

 

 

人は自分の死が目の前にぶら下がった時に、

死後のことを真剣に考えるようになる。

 

 

死というものと向き合うのです。

 

私自身は、

依頼者と身内の死という場面を

一緒に関わることがあります。

 

 

そして、

説明のつかない不思議な出来事を

目の当たりにしたご家族の方々も

神仏や霊魂の世界を再確認したり、確信したり、

それまでの価値観が変わったりします。

 

 

私は全ての人に私がここでお話していることを

理解してもらおうとは考えていません。


 

なぜならば、

いずれは必ず皆、死を迎えるのですから

身体がなくなれば分かることだからです。

 

私は、それを確信しているので

理解しようとしない人には、

それはそれで良いと考えています。

 

自分の死を迎えた時に、

戸惑い翻弄するのは本人です。

 

魂の世界はあるのです。

 

ただ、成仏できなければ残った家族に

迷惑をかけることになるかも知れない、

 

要は、残された者に

宿題を残す結果になることが多々あるのです。

 

実際に私はそんな霊魂と会話してきました。

 

そして、必ずそこには今、生きている人間の

病や苦悩があるのです。

 

 

その場合、傍にいる霊魂は、

その生きている人間の耳元で懸命に

話しかけているのに無視され続け、

 

終いにはヒステリックになり何らかの形で

訴えようとするようになるのです。

 

自分が懸命に話しているのに無視され続けたら、

あなたならどうしますか? 

 

どう思いますか? 

 

これと同じ状態なのです。

 

そして、

そのうちに生きている人間側は具合が悪くなる。

 

 

それは、ネガティブな負のエネルギーが

少しずつ身体に浸透して自分の弱い部分に

溜まっていくからです。

 

 

生きている人間は、

何も分からないので病院へ行く。

 

 

病名がつけば、まだ良いのですが、

病院へ行っても原因不明とか、

長く改善しないなど後々苦しむ結果になり、

 

藁をもすがる思いで様々な方法を探し、

身体が回復すれば方法などは

どうでも良いと思うようになるのです。

 

ここに浸けこむのが自称霊能者、

えせ祈祷師、カルト的な宗教です。

 

私と知り合う前に多額なお金をいろんな所や

物に使った人が多くいました。

 

この気持ちは、

そこまで病んだ人にしか分からないかも知れません。

 

 

でなければ、目に見えない力など興味もなく、

信じもしないでしょう。

 

 

でも、すでに身体は悲鳴を上げ、

精神的にも限界がきているのです。

 

 

そして、私のような者の所に来られるのです。

 

 

これもご縁です。

全ては必然なのです。

 

自分たちの分からない所で

魂の糸が絡み合っているのです。

 

 

私はさまざまな魂と様々な会話をし、

それを知りました。

 

しかし、

出会いとご縁は微妙に違う。

 

 

時々は負の出会いもあるのです。

 

それは、自分のカルマの清算の出会い。

 

その出会いによって窮地に立たされても

自分で越えなければならないハードルなのです。

 

そして、そこには学びが隠れています。

ある一定のレベルの魂に尋ねたことがありました。
 

「前世で家族であっても今また出会い、

 それが自分にとって

    良い出会いではない場合は何故なのか?」
 

 

「家族は元々、自分で選んだ修行相手なのだ。

         上手くいっては修行にならんからな」
 

 

 

この言葉を聞いた時に、

自分の家族を置き換え考えた私は納得できました。

 

自分と気質の違う相手こそ、

自分と違う視点で物事を考え行動する。

 

似ていると居心地よく、また利点もありますが、

必ず、

かばい合えない部分が出てきます。

 

 

人は、苦しい時は心に余裕がなくなり、

自分の思考以外は、受けいられなかったり、

発想転換すら難しくなる。

 

自分のことのように心配し、

かばってくれるのが家族なのです。

 

悲しいかな、

中にはそうではではない家族もいますが・・・

戦国時代などは、

親子・兄弟でも殺しあっていたのですからね。

 

そして、

自分と似ているようで似ていない価値観の違う

家族が助言し、本人も気付ていない所を助力する。

 

 

よくよく考えると、上手くできています。

 

普段は、感性の違いでぶつかることがあっても

家族だから許し、許されるのです。

 

または、

悲しいですが、それだからこそ許せなくなることもある。


是日物語-剣山

 

 ある日、相談を受けていた人の亡くなられた

母親からメッセージを受けたことがありました。

 

それは残った子を思う親心でした。

 

 

 

  もういいんだよ。私はシッカリ生き抜いた。

 

後は、お前自身のことを考えて生きるんだよ。

どんな親も子供の悲しい顔なんてみたいはずがない。

 

そんなにいつまでも悲しむことはない。

いずれは来る定め。

しっかりしないといけないよ。

あまり悲しむと私も安心してあちらに逝けないよ、

・・・判ったね。

 

心配しなくても、

もう私は痛いことも苦しいこともなくなった。

 

悲しむお前が心配だよ。

どうかお前はお前の幸せを掴んでほしい。

 

親にとって最大の親孝行は子が幸せになってくれること。

だからねっ、判ったね。

 

これ以上私に心配させないでおくれ。

私を安心させて送っておくれ。

 

身体に気をつけてシッカリ生き抜くんだよ。

私はいつもお前を見守ているからね、

寂しいなんて言わず、

お前が呼べばいつでも傍にいるんだよ。

 

頑張らないといけないよ、

私の宝物。

 

 

 

 

切ない別れの親心です。

悲しむ子を思う親心。

 

先祖、子孫は結局この連鎖なのです。 

 

そうそう、他にも魂に尋ねたことですが、

赤ちゃんは親を選んで産まれてくるそうですよ。

 

自分が自分で、

この親の子に産まれたら自分の環境がどうなるか

判断して選ぶ。

 

勿論、そこには、その時々の親の判断で

大きく人生が変わることもあるのですが、

生まれ降りる魂は大きな賭けをしているのです。

 

だから、もともと子は親よりも

ひと回り大きな魂(成長した魂)が降りて来るのです。

 

 

生まれた時は皆、天使。

しかし、

悪魔にしてしまうのは紛れもない親なのです。

 

確か、インドだったと思いますが、

未成年者の重大犯罪があると親の責任として

モザイクなしの顔を出してメディアに出て、

いろんなインタビューに答えなければならないようです。

 

今の日本もそうすれば良いのでは?と

私個人的には思っています。

 

体裁を構う日本人には打ってつけだと。

 

子供は親次第ですから、

いくら親が社会的に体裁もよく完璧でも、

子供が犯罪を犯すことは親にも重大な責任があるのです。

 

しかし、

よく観察してみると大体は子供の愛情不足、

または、ペットのような無責任な溺愛からである

ような気がします。

 

何にしても人様に迷惑をかけた子の親です。

 

親は人前に顔をさらけだして自分を恥じれば

良いのです。

 

{お天道様はお見通し}

 

霊魂の世界ではそうですからね。

 

そこまでしないと今の日本は未来が

ないような気もします……。

 

 見かけの美しさや肩書を追求し、

人間的な中身は空っぽでは何の意味もない。

 

 

人は誤魔化せても

魂の成長や魂が磨かれることも

輪廻した意味もないのです。

 

 



 

 


・・・
2012年2月の原稿より抜粋記載・・・