去年もアップしました
8月15日は終戦の日
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1945年 和暦だと昭和20年d( ̄  ̄)
戦後79年 生まれた子供が79歳になるのだから
どれだけ長い時間が流れたのかが分かる
毎年終戦の日は報道番組も増えて
政治家の靖国参拝とか話題になるけど
過ぎるとまた歴史のかなたになって
風化していってしまいつつあるように
感じるのはMAMA DAISUKIだけかな…
大和という名の軍艦が就役したのは
太平洋戦争開戦直後の1941年12月
日本の最高技術を結集して建造された
大和には神風と呼ばれることになる
海上特攻機が搭載される
日本は戦況の悪化とともに徴兵せず
温存してきた高等教育機関就学者の
徴兵を実施
将来社会を担う人材である大学生が
戦場に向かったことで日本国民全体に
総力戦への覚悟が生まれていったと
云われている
そして彼らの多くが
特攻隊として死への出撃に挑んだ
19歳の少尉が出撃を控えて
母へ残した手紙がある
そこには二つの事が書かれていた
◆遺品を残さないこと
◆出撃の日故郷の上空を飛んでから出撃する事
それが自分なりの別れの挨拶と綴られていた
英霊を祭る靖国神社の遊就館には
同じように特攻として出撃した
多くの若者の遺書や遺品が展示されている
戦艦大和は1945年4月
アメリカ軍航空隊386機による
波状攻撃を受け炎上沈没
同じ年
広島と長崎に原爆が投下され
戦火は終息する
敗戦前夜の1945年8月14日*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
日本はポツダム宣言を受諾
無条件降伏した
ポツダム宣言は
米国 中国 英国 が日本に対して
無条件降伏を求めた全13か条の宣言
宣言発表後 ソビエトが是を追認した
1945年7月にナチスドイツが崩壊
勝利を確信した連合軍首脳による会談で
話し合われた共同声明だった
第1条、合衆国大統領、中華民国政府主席、
英国総理大臣は、其々の国民を
代表し日本に対し戦争を終結する
機会を与える。
第2条、3ヶ国の軍隊は増強を受け、日本に
最後の打撃を加える用意を既に整えた。
第3条、世界の自由な人民に支持された
この軍事力行使は、ドイツと
ドイツ軍が完全に破壊されたと
同様、日本と日本軍が完全に
破壊される事を意味する。
第4条、日本が軍国主義者の指導を引き続き
受けるかそれとも理性の道を歩むかを
選ぶべき時が到来したのだ。
第5条 条件は以下の通り これについては
譲歩しない。執行の遅れは認めない。
第6条 日本を世界征服へと導いた勢力を除去する。
第7条 第6条の新秩序が確立され戦争能力が
失われたことが確認されるまで日本国
領域内諸地点は連合軍が占領 する。
第8条 カイロ宣言の条項は履行されるべき。
又日本国の主権は本州、北海道、九州
及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に
限られなければならない。
第9条 日本軍は武装解除された後、各自の
家庭に帰り平和・生産的に生活出来る。
第10条 日本人を民族として奴隷化しまた日本
国民を滅亡させようとするものではない。
一切の戦争犯罪人の処罰。民主主義的
傾向の復活強化。言論、宗教及び思想の
自由並びに基本的人権の尊重は確立されること。
第11条 日本は経済復興し、課された賠償の
義務を履行するための生産手段のみを
保有出来る。戦争と再軍備のための
それは認められない。
第12条 日本国民が自由に表明した意志による
平和的傾向の責任ある政府の樹立。
これが確認されたら占領は解かれる
第13条 全日本軍の無条件降伏。以上の行動に
於ける日本国政府の誠意について同政府に
よる保障が提供されること。これ以外の
選択肢は、迅速且つ完全なる壊滅のみ。
第8条にあるカイロ宣言は
イタリア軍が降伏した1943年
カイロでおこなわれた連合軍の
会談で発表された声明
骨子はこんな内容だった
★米英中の対日戦争継続表明
★日本の無条件降伏を目指す
★日本が第一次世界大戦により
領土とした太平洋の全島返還
★日本植民地の中華民国への返還
★朝鮮の独立
参加したのは
アメリカ合衆国大統領ルーズベルト
イギリス首相チャーチル
中華民国国民政府主席蒋介石
内容はすべてポツダム宣言に活かされた
玉音放送があったのは8月15日の正午
戦時中 神と位置付けられた天皇陛下
初めて肉声を聴いた国民も多かった
4分間のラジオ放送は 戦争の終結を告げ
同時に日本の降伏を伝える内容だった
初めにアナウンサーによる説明があり
聴衆に起立しての拝聴を求めた
天皇自らの勅語朗読である事が伝えられ
君が代が演奏された後
勅語の朗読が放送された
終了後 再度君が代が演奏され
内閣による補足アナウンスが流された
勅語の朗読は予め録音された
レコードによる再生だった
激しい空襲で主要都市は焼き尽くされ
二度に亘る原子爆弾の投下で
広島と長崎では一瞬で街が消えた
終戦当日の8月15日も
小田原と秋田市の土崎港に
130機以上にも及ぶB-29爆撃機が飛来
市街地と製油所が炎に消えた
死者は両市で300人を超える
後数時間で終結する戦禍の犠牲者
日本の降伏でこれが最後の空襲となった
欧米諸国の経済政策で貿易を封鎖され
追い詰められた日本が戦争を決意し
真珠湾を爆撃してから4年が経過
敗戦と云う幕が降りた
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何が正しくて何が間違って
いたのかなんて戦火の時代を
生きていないMAMA DAISUKIには
判らないけれどこの歴史を次の
世代に伝えていきたいと望んできた
祖国を愛し 命を賭して
日本を守ろうと戦って逝った
多くの若い命
現在の平和と繁栄は
彼らの尊い犠牲の上にある
戦後日本を復興した世代は高齢になり
社会や家族環境が大きく変容する中で
年齢を理由に社会参加の機会を奪われたり
虐待や地域から孤立したり悪質商法の
ターゲットや強盗の標的になっている
変わってゆく時代の中で仕方のない
こともたくさんあるけれど時々は
戦闘と復興の歴史に思いを馳せる
時間を持っていたいと思う
犠牲者の魂が今は
安らかにあることを願って
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