BUTTERFLY ミラバル姉妹の遺産 ~ 女性に対する暴力撤廃の国際デー | いつも 0-40   

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私の名前はMAMA DAISUKI
完全無欠の落ちこぼれテニスプレーヤー
テニスを始めて5年目いまだ連敗記録更新中
やっすい時給で頑張ってるのはテニスのため
練習していつかあこがれの草トーに挑戦
いつかきっとゲットできるはずの1勝めざして今日もコートへ

11月25日は
"女性に対する暴力撤廃の国際デー"
制定にはこんな歴史があった

ミラバル姉妹
ドミニカ共和国の民主化を目指した活動家
31年間に及ぶ独裁政権崩壊の立役者でもあった



ミラバル姉妹はドミニカの裕福な家に生まれた
姉妹の父親は事業で成功し財を成していたが
トルヒーヨ政権下で財産のほとんどを失った

1930年
後に31年に及ぶ独裁政権を作るトルヒーヨは
大統領選に立候補すると軍を使ってあらゆる不正を
行い選挙に勝利大統領に就任すると独裁政治を強いた



独裁色の強い新憲法を憲法制定会議に承認させ
国家のめぼしい産業は全て自らの一族に支配させ
政敵や批判者を国外追放 恐怖政治で体制を固めた
労働者によるストライキが発生すると軍を動員
反体制の住民を35000人も虐殺した

1956年にはアメリカに亡命していた大学講師が
秘密警察の手によりニューヨーク地下鉄内で誘拐
消息不明となる事件も発生した

ミラバル姉妹は国民の財を我が物にする理不尽な政権の
やり方に疑問を感じ独裁の終焉を見据えて民主活動に
参加し独裁政権打倒に情熱を燃やすようになっていった

反政権グループ内で姉妹はLas Mariposas"蝶"と呼ばれた
姉妹は幾度も投獄され拷問を受け姉妹の夫全員が収監された
それでも屈せず独裁政権と戦い続けた
業を煮やした政権は姉妹の暗殺を決意する

1960年11月25日
非武装の姉妹は秘密警察に囲まれサトウキビ畑に連れ込まれ
全身を殴打された挙句絞殺され乗っていた車と共に崖下に
落とされた 居合わせただけの運転手も惨殺された

長女パトリシア 享年34歳
三女ミネルバ 享年31歳
四女マリア・テレサ 享年25歳

だけど姉妹の暗殺成功で民主化運動を抑え込める
と思っていた独裁政権に予想外の事が起こり始める
ミラバル姉妹の死に国民は大きな怒りあらわにし
独裁政権に対する不信感を増大させていった

1961年5月30日独裁者トルヒーヨは側近であった筈の
将兵7名に襲撃され銃弾を全身に撃ち込まれ死亡
後任に弟が就任したが副大統領のバラゲールにより
政権を追われ1961年11月独裁者一族は国外追放された

ミラバル姉妹はサルセド近郊オホ・デ・アグアの
生前最後の10ヶ月を過ごした土地に埋葬されている
三女ミネルバの夫も姉妹とともにこの地に眠っている


ミラバル姉妹最後の住まいは博物館として公開され
慰霊碑も建造されている 1人生き残った次女は晩年
博物館の傍らに住んでいた


次女デデの息子はドミニカ共和国大統領フェルナンデスの
もとで副大統領を務め三女ミネルバの長女は1998年から
上院議員を務めている



1999年12月17日
国際連合は総会でミラバル姉妹の暗殺された11月25日を
"女性に対する暴力撤廃の国際デー"として採択
強姦や家庭内暴力などの女性に対する暴力の実情の啓発
また暴力の多さや家庭や組織の中で隠ぺいされがちな本質を
考える一日として周知されている
また
"女性に対する暴力撤廃の国際デー"である11月25日から
12月10日の"世界人権デー"までの16日間は性差別による
暴力廃絶活動の16日間とさだめられている

姉妹の魂が今は穏やかにあることを祈って

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