ライカ ~ スプートニクがみた夢 | いつも 0-40   

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私の名前はMAMA DAISUKI
完全無欠の落ちこぼれテニスプレーヤー
テニスを始めて5年目いまだ連敗記録更新中
やっすい時給で頑張ってるのはテニスのため
練習していつかあこがれの草トーに挑戦
いつかきっとゲットできるはずの1勝めざして今日もコートへ

テレビで韓国のSNSが
話題になっていた 韓国の"空ショット"
小型犬を投げ上げて空をバックに撮った
写真をインスタに投稿するというもの

衝撃を受けた Σ(|||▽||| )
小型犬は小型犬は骨があまり強くない
もし受け取りそこなって落下すれば骨折
最悪命を落としても不思議ではない
SNSの中の犬達の表情は硬く見えた

犬と人間の歴史は長く
犬たちはいつも人間に忠誠をつくし
人間は犬たちを裏切り続けてきた

世界の宇宙開発の歴史にも
こんな悲劇が残されてる φ(.. )
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆ スプートニク2号Σ\( ̄ー ̄;) 
ずっと前にも書いたブログだけど
忘れられない話

1957年 まだ冷戦時代の話だけれど
ソビエト連邦が 11月3日に工衛星を打ち上げた
画期的だったのは 地球生物を乗せた
世界初の宇宙船だったこと
|´v゚)ノ。*†*。☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆☆。

世界が有人宇宙船の第一歩を踏み出した
スプートニク2号はバイコヌール宇宙基地から
R-7 ロケットによって打ち上げられた (∩゚∀`∩) 

2台の光度計の他に 遠隔計測器と
イヌを搭乗させる為のキャビンを搭載
三角錐の形状だった(・ω・)/

乗り込んだのはメスの犬 ライカ 
訓練を受けてきた数頭の中から選ばれた

宇宙船は気密が保たれ
生命維持装置が設置され
ガイガーカウンター等
の計測器も搭載していた

食事は一種類だけど
8日間生存を指針に
栄養メニューと水分が
計算された
できあがった飼料には、
水とゼラチンパウダーが混ぜられ
ゼリー状に仕上げられた

搭乗中ライカがこの餌を
食べられるのは1日1回
 100g *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
人類史上 初めての宇宙食

けれど (-。-;)
スプートニク2号には ひとつだけ
成されていない機能があった

再び地球に帰還する機能 ( ̄_ ̄ i)
つまり スプートニク2号は
大気圏再突入が不可能な設計 (_ _。)
ライカ は 地球生物で初めて
地球軌道を周回するという
輝かしい栄光と共に
死への旅に送り出される (´・ω・`)
大気圏外からの帰還技術は
まだ開発されていなかった

ライカ は 特攻 だった p(´⌒`。q)グスン

ライカが最後の散歩を終えたのは
10月31日の午前10時頃*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

散歩の後 ライカの体は丁寧に
拭かれ毛繕いやノミ取りも行われた

2時間後 *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

センサーや排泄袋がライカに着けられ
ベストとハーネスも付けられた

生命維持装置には超酸化カリウムと
餌が充填された

午後2時 ライカはキャビンに
入れられ体を固定された

ライカのカプセルはロケットの先に
接続され出発を待つことになった*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

もう二度とライカが野を駆けることはない o(TヘTo) クゥ

11月を迎える夜は冷え込む *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
ライカのカプセルの周囲には
暖房機がおかれ作業員が夜を
徹して付き添った

11月3日 *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
打ち上げ目前になって
研究所の職員が気密カプセル内の
圧力を変動させるミスを犯す

そのためもう一度カプセルは開かれ
圧力調整のやり直しが行われた

3日前に閉じこめられたままのライカ
生きて帰ることはできないライカ …せめて
一杯の水を最後に飲ませてやりたい
職員たちが祈る思いでおこした
故意のミスだった(*´ -`)

水は餌用のトレイに注がれ
カプセルは再び閉じられた

もしかしたら ほんの一瞬
ライカはそこから出してもらえると
思ったかもしれない (-。-;)

スプートニク2号 打ち上げ *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
日本時間4日午後4時28分

ライカは心拍数、血圧、呼吸を確認する
センサーが組み込まれた宇宙服に身を包み
帰還予定のない宇宙の旅へと出発した (-。-;)

発射時の爆音とエンジンの振動に
怯えたライカは体を自由にしようと
必死にもがいた ~~(;_ _)O
ライカに取り付けられたセンサーは
脈拍数が3倍に上昇
無重力状態になった後減少して
落ちつきをみせた全てが問題なく運び
間もなく軌道投入成功が確認された

地球上の生物が 生きた状態で
初めて宇宙を飛行した瞬間だった

職員の叫び声が記録に残されている

生きています!

だが スプートニクが地球を3周して
帰ってきた時 取得されたデータは
カプセル内の温度が40℃に
達していることを示していた

センサーは ライカが激し
動いていることを示していた

熱さで苦しんでいる

ノーズコーンが分離する際
断熱材の一部が損傷船内の気温を
摂氏15度から41度に上昇させた

成功という結果とは裏腹に
現場は重苦しい空気が漂った
誰もがライカを想っていた *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

次の交信セッションを皆が待ち望んだ
1時間半後
スプートニク2号は再び上空を通過
情報が受信されたが
生体データは全てゼロを示していた

ライカが力尽きたことを告げる
衛星からの通信 *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

打ち上げから約6時間後のことだったo(_ _*)o

SF映画の世界だった宇宙飛行が
人々の中で より現実味を帯びていった時代
スプートニク2号の見た夢は人類の見た夢だった

世界中のプラネタリウムで
スプートニクのプログラムが演じられ
夢を求める人々が訪れた

反して 命を落とすと知りながら
ライカを宇宙に旅立たせたことに
動物愛護団体は抗議を重ねた

犬に対する愛護が熱心な
英国人の反応は特に厳しく
関連団体に電話や手紙が殺到した

愛犬家らが国連本部の前で大規模な
抗議集会を開いたこともあった

ライカ絶命の3日後
ソ連は ライカが打ち上げの前に
“コースディナー”を食べ軌道上で 
今なお生存していると発表

それ以降 ライカに関して
一切のコメントを控えるようになる

11月11日 スプートニク2号の電池が切れ
一切の情報が受信できなくなったことを発表

翌日12日 モスクワ放送がライカ絶命を伝えた

スプートニク2号は打ち上げ162日後の
1958年4月14日大気圏に再突入
米国東岸からカリブ海にかけて
想像を絶するスピードで落下
明るく輝いた後崩壊しいくつかの
断片になって様々な色に輝きながら
消滅した

      目撃されたライカの最後 *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

      従順で大人しい犬だった
      と云う記録が残るライカ
      いつも「0-40」
      信頼していた人間たちに
      カプセルに押し込められ
      未知の空間に送りだされる
      なんて想像も出来なかっただろう
      いつも「0-40」
      せめて 帰還技術が確立してから
      ライカを乗せることはできなかったのか
      いつも「0-40」
      生物が宇宙を飛ぶのはあと数年
      遅くなっていただろうけれど
      歴史の中の時間にすれば
      僅かなものではなかったのか
      いつも「0-40」
      ライカに背負わされた使命は
      あまりにも大きく
      あまりにも残酷だった

けれど ライカが残した足跡は
1961年 ユーリ・ガガーリンによって
成し遂げられる 世界初の有人宇宙
飛行への礎になった

モスクワ ペトロフスキー公園
南西にある航空宇宙医学研究所には
ライカの記念碑が建てられている *:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

ハーネスを付けた時 ライカは
お散歩に行けるのかと思っただろうか

閉じ込めれた時 どれだけ
寂しく辛い思いをしただろうか

人間は乗せられないが犬なら
命を落としてもいいなんて
人間は傲慢過ぎないのか

人間に裏切られたまま
大気圏で燃え尽きたライカ
絶望と悲しみは深すぎた

      ライカの魂が天国の園で
      今は安らかにいる事を願って*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆

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