三沢光晴のフェイスロック
テーマ:プロレス技朝も書きましたが、今日は三沢さん48回目の誕生日です。
三沢さんがいなくなり1年が過ぎましたが、
三沢さんの試合で熱狂してプロレスにハマった僕からすると、やっぱり寂しいですね・・・。
そして“三沢光晴”というと“エルボー”というイメージがありますよね。
それまでもプロレス界にエルボーの使い手はいましたが三沢さん以上の使い手はいないでしょう。
そしてこれからも出て来ないでしょうねぇ。
かつて小橋建太選手も『喰らいたくない技』として三沢さんのエルボーを挙げた事があります
ジャンボ鶴田さんを失神させたり、スタン・ハンセンが「世界一の右腕」と称賛した事もありました
そして三沢さんの必殺技と言えばタイガードライバーです
90年代後半からNOAHになってからはタイガードライバーで試合が決まる事は少なかったですが、
タイガーマスク時代から90年代半ばまでは三沢さんの必殺フルコースとして、
ケフラトーラコンヒーロ(風車式バックブリーカー)→旋回式バックドロップ→タイガードライバー
という流れるような技で試合を終わらせたりしていました
ただ、90年代の初期頃、タイガードライバーはテリー・ゴディに迄は決めれたモノの、
ゴディよりも大きかったジャンボ鶴田、スタン・ハンセンには決める事が出来ませんでした
確かこの2人には結局一度も出来なかったと記憶しています。
当時、身長190cm、体重120㎏超えのスーパーヘビー級が沢山いた全日本プロレスで
185cm、110㎏三沢さんは自分の身体の小ささに悔やんだ事もあったそうです。
そこで三沢さんが対スーパーヘビー級として開発したのがフェイスロックです
それまでのプロレスにもフェイスロックはあったのですが、
三沢さんのフェイスロックは『ステップオーバー式』と言われるもので、
大きな相手からスタミナを奪い、ダメージも与え、ギブアップも獲れる技として
1991年頃から必殺技として使い始めました。
そして“三沢のフェイスロック”を一躍有名にしたのは91年に行われたタイトルマッチ
1991年9月4日、日本武道館・世界タッグ選手権
王者・三沢光晴&川田利明VS挑戦者・ジャンボ鶴田・田上明です
この年の7月24日、石川で行われた世界タッグ選手権、
王者・でテリーゴディ&ステーブ・ウィリアムスの殺人魚雷コンビを破り
三沢&川田組初栄冠となる第17代王者の初防衛戦として組まれた試合でした。
この試合も武道館大熱戦となりました
三沢&川田の王者組の連携。ジャンボ鶴田の怪物的強さとまだまだ若かった田上明の荒削りさ。
4人の持ち味の出た素晴らしい試合でした
そしてフィニッシュは予想もしなかった衝撃の結末となります。
26分34秒、フェイスロックでジャンボ鶴田がギブアップ
何故、この結果が衝撃の結末だったかというと、ご存知の方も多いと思いますが、
日本プロレス史上、最強の男と言われるのがジャンボ鶴田です。
この鶴田さんが日本人選手相手に唯一のギブアップ負けをしたのがこのフェイスロックなんです
過去に外人選手相手にギブアップはあったのですが、これは鶴田さんが若い頃の出来事で
鶴田さんがいわゆる“怪物”と言われてからギブアップをした事は無かったんです。
試合後、鶴田さん自身がギブアップをした事に対して「信じられない。」と語っています。
最近、決まり手がフェイスロックというのはほとんどナイですけど、
誰かこのフェイスロックを継承して使ってほしいと思いますね。
今のプロレスでも使うタイミング等を考えればフェイスロックは有効な技だと思います
タイガードライバーは鼓太郎選手が使っているので、
潮崎選手にフェイスロックとエメラルドフロウジョンを継承していってほしいです