テンらいむのユーモアエッセイブログ -2ページ目
私はストレスが溜まりやすい性格である。ストレスのせいで胃が痛くなったり、夜寝れなくなったり、キムタクの様なイケメンでは無くなったりしてしまう。
そこでストレス発散のためにスポーツクラブに通い始めた。
色々と考え事をしながらスポーツクラブの中に入ろうとすると前から鏡餅が歩いてくる。
『俺もストレスのせいでついに幻覚まで見えてきたか。ここまで来たらもう手遅れだ』と思っていたらただのデブであった。
いや、ただのデブではない。ただ者ではないデブである。着ているシャツにでかでかと
<もっとアクティブになりなさい>と書いてある。
お前に言われたくない。磯野波平にもっと育毛剤を使いなさいと言われる様な物だ。
きっとこいつは自分を戒めるためにこのシャツを着てるんだと自分に言い聞かせる。鏡で自分を見る度にこの文字を読んで自分を励ましているんだ、きっとそうに違いない。
ならば鏡に映った時に読めるようにシャツには逆に印刷しておけ。自分の手の平に書いておけ。まぶたの裏側にタトゥーしておけ。
とにかく私に読めないようにしなさい。自分の事より先に私の事を考えなさい。そのように自己中心的であるから季節外れの鏡餅の様になるのだ。
よく、アメリカではデブは自己管理が出来ないと見なされて出世も出来ないと聞くがあれは絶対に嘘である。そんな事が本当であったらアメリカの会社なんて社長一人に平社員五千人になる。
それでは一つ一つの会社が小さい独裁国家ではないか。あれほど自由と平等を尊重し、讃える国家にそのような事は無いはずだ。いや、あってはならないのだ。それではイギリスから独立した意味が無いのだ。奴隷解放宣言の意味も無いのだ。あのジョージワシントンが桜の木を折ったのは私だと白状した意味が無いのだ!
オー、ジョージよ!
お前は立派なのだ!
正直なのだ!
ブラボーなのだ、ファンタスティックなのだ!
これでいいのだ~~~~!!!
そんな事を考えながらのランニングを終え、後はゆっくりとジャグジーにつかりながら本を読むだけである。こういう時私が本を読むのには二つ理由がある。一つはもちろん本が読みたいからである。もう一つの、もっと大きい理由とは極力話しかけられるのを防ぐためである。
アメリカ人とはことあるごとに他人に話しかる。電車に乗っていようが、レストランで食事をしていようが、買い物をしていようがすぐ他人と仲良く会話を始める。これは非常に素晴らしい国民性だと思う。フレンドリーで交流の幅が広がり人間と人間の絆を再確認する事が出来る。日本人もこの風習をもっと見習わねばならん。
だが私は大嫌いである。とにかく他人に話しかけてほしくないだ。面倒くさくてしょうがない。なんでアメリカ人はあんなに話しかけてくるのだろうとよく思う。
昔かかっていた歯医者なんか人の口にドリルを突っ込んでいる最中
『お母さん元気?』とか聞いてくる。
床屋で髪を切ってもらっていても仕事は何をしているのだ、趣味は何だ、どこに住んでいるのだ、円周率は何桁まで言えるのだ等とひっきりなしに聞いてくる。
これが嫌でしょうがないので学生時代はずっと中国人のおばさんの床屋で髪を切ってもらっていた。正直そのおばさんは髪を切るのは下手だ。だが言葉が通じないので会話をしなくて済む。しゃべりさえしなければモヒカンにしようが、美輪明宏の用にしようが、頭にハイビスカスを植えようがかまわない。
私は床屋に技術より寡黙さを求める。
そんな私であるからジャグジーに浸かっている時は本を読み、出来る限り<私に話しかけるなオーラ>を醸し出す
だが敵もアッパレ、私の能力のある限り捻り出したそのオーラを図々しさと言う名の芭蕉扇で一瞬にして吹き飛ばす。
『君はジャパニーズか?』
『。。。。そうですよ。』
『ジャパンは本当にワンダフルな国だ。』
『行った事あるのですか?』
『無い』
。。。。。。
またストレスが溜まる。

