五郎の歌ならば、、、、いくらでも出てくる❗。
青い🍏リンゴを抱きしめても
思いでさえ帰らない
涙💧涙💧涙のうみに今、、、、
僕は深く沈もう
美しすぎて 君がこわい
美しすぎて 愛がこわい
離さない 離なしたくない
今 僕に訪れた
離さない 離したくない
涙ぐむ 青春を
ここまでタブレットに入っている
五郎の歌を歌詞を確認しながら書いていたが、
一つの歌の歌詞を書きながら
又 、、、、涙した。
思い出さなくても良い過去
忘れられない過去
大切に胸の奥に締まったままの方が良い過去
自分にとっては良き思い出
そんなことを一つ一つ書いて来たブログ
しかし、、、、
読んでくれていた読者さんは、
どんなイメージを持ちながら読んで来ただろうか??
そう思い始めたこの頃。
始めは、五郎のブログのコメント欄には
書ききれない想いを書くため✍️のはずだった。
それは、秀樹への追悼の想いであり
秀樹の家族への一方的な心配であったり、、、、
我が身に起きた不幸な出来事を重ねて、
色んな想いが渦巻き、
書かずに居られなかった。
それがいつしか変化して、、、、
書くべき✍️思いの丈を書ききり
(書ききったか??どうかは分からないが)
青春を思い出すには辛く
五郎の歌に驚き、
五郎の歌に共感し、
五郎の歌に泣き、
五郎の歌に怒り、
五郎の歌で背中を押され、
五郎の歌で踊り、
五郎の歌を聴きながら飲んだ、、、、
そんな日々が
私の青春で有った。
私の中の秀樹の存在は、
五郎の存在とも違い、、、、
その肉体の素晴らしさが、
私は
羨ましく妬ましく
眩し過ぎて、、、、悔しかった。
そんな秀樹が、、、、
今も私は秀樹の歌を聴くのが辛くて、、、、
まともに聴くのを躊躇って居る。
あ~~~~時は流れた。
[青いリンゴ]を聴いた日も
[巡り会う青春]を歌った日も
そんなこと
どうでもいいじゃない
いつだって
愛しているじゃない
[オレンジの雨]を皆と歌ったバス旅行も
今は遠い。
あ~~~~~時は流れた。
[神田川]に泣いた日も
[甘い生活]に泣いた日も
[私鉄沿線]に胸が苦しくなり
[むさし野詩人]に怒ってみたり
[女友達]にさえ ( `д´)違う❗と怒り
[針葉樹]に励まされながら仕事に打ち込み
[氷をゆらす人]で大人に成った自分を発見し
[ダイヤル117]で恋の欠片を拾い
少女ではなくて、
女性に成ったと自覚した時に
一枚の写真を撮った。
時は流れた、、、、
二十歳の時に聴いていた
[夕立のあとで]を聴く度に思い出すのは、
二十歳の時に逢った人ではなく、、、、
三十数年間を共に過ごした夫。
五郎の歌を聴くと思い出す人は
その歌によっては違う。
それは┉┉┉もう┉┉┉┉
私の中で忘れられずに、
私の人生の一部分として、、、、
私を形作って来た出来事だと思って居るから。
それは┉┉┉誰の歌でも良い訳ではなくて、
同じ年に親の庇護から飛び立ち
社会人として歩いて来たからであり、
五郎がデビューした年だから。
五郎の頑張りと私の頑張りが同じ年数だと
感じて居るからだ。
ブログ、、、、ほったらかして居てごめんなさい。
芸能人ファン枠でもなく
還暦枠でもなく
ガーデニング枠でもなく
昔話も書ける範囲での話は書いたし
書いても何だか賛同して貰えず、、、、
読者離れしているのを感じるし
介護して居た頃を思い出すのは、
私が切ないから
思い出すのが辛いから書けない。
よって、、、、
ブログネタが、、、、
切れてます。
少し前のブログを読んで下さった方
ありがとー😭✨。
最初の頃のブログを読んで居た方
イメージが違う内容で
ごめんなさい。
いっぱい??違うイメージを持つ私。
年齢と共に過ごした環境が変化して、、、、
今は、、、、
働く還暦過ぎの
頑張って居る未亡人が書いている、
適当なブログだと思って読んで頂けたら、
嬉しいです。