ゲームの本質はそんな場所にはないことを知る。

 

 

予想行為は出馬表が出てからしか分からない。誰もが週が明けると昨日のことは忘れて週末に向けてアレコレ探し始めるものだ。考察するのは結構だが、それがどんなに精密で緻密な理論、手法であれ所謂1番人気馬を探し出す行為でしかない。役立つも役立たないもそんなモノにどんな意味があるのだろうか。

人気馬なんてのは確実に操作されているからだ。実際に厩舎の状況、騎乗騎手、成績と実に怪しい雰囲気から人気は作り上げられる。勿論、そんなモノは「オペレート」でも何でもない。

 

例えば、3月24日に高松宮記念が行われる。この競走ではナムラクレア、トウシンマカオ、ルガル、ママコチャあたりが人気形成をするだろう。これは予想行為でも何でもない。そういう流れなのだ。

このグループの駒というのはさもナンチャラ理論とやらで必死になって導き出す必要のない駒だ。

 

 

ただ、理論と称し指名すると中った時にかっこいいから?w

だから予想はしなくとも単勝1番人気馬を曖昧な表現で指名することだけは怠らない。そんないい加減なオペレート野郎が偉そうに物言うのが当たり前になっている。

人気馬を指名するのはいい。が、来るのか来ないのか位ハッキリと公開するのが普通じゃね。いるんだよなぁ。答えが出てからしか表現しない上から目線で物云う輩が。

 

 

 

 

サルでも中るからサルの目。予想する必要のない駒。

 

 

阪神大賞典

 

サヴォーナ

ブローザホーン

テーオーロイヤル

 

スプリングステークス

 

ウォーターリヒト

シックスペンス

ジュンゴールド