今日、
音楽を聴きながら、お散歩してたら、
感動がこみあげてきて、
泣きそうになった。
いつもの道を、ただ歩いていただけなんだけど、
美しい音楽が聴けることや、
街路樹の葉が、風でひらひらと
わたしのところへ優しく落ちてくるだけで、
感動してしまった。
この感覚は、前日にやった瞑想の中で見た感覚と似ていた。
まるで予習させられたみたいだ。
それは、
白くて眩しい砂漠のような何もないところで、
わたしの存在だけが、ただ在る。というもの。
今のわたしの姿形ですらなく、
ただ「わたし」と認識している「人」だった。
わたしが在る、それだけだ。。。
ということに、
なんの義務も縛りも重さも、所属もなく、
なんの所有物もなく、肩の力が抜けて、
感じたことのない「拡がり」を感じて気持ちよかった。
なにも持っていないことへの、豊かさ。
それを感じた瞬間、
大きな仏陀の手にすくわれて、、、
緑の森の中へ置かれたとき、
緑の色があまりに眩しく美しくて、
見るもの全てが新鮮で、
全てに感激したあの感覚に、すこし似ていた。
*瞑想したときの詩*
降り立った惑星のひとつひとつに、
わたしはこんなにも感動できるのか。
こんなにも、なにもかもが新鮮で、眩しい。
なんて幸せなんだろうか。
なんて豊かなんだろうか。
何も持っていない、
わたしの手には、
こんなにも、ひっきりなしに
豊かさが舞い踊っては去ってゆく。
この手の上には
すべてが繋がり、
すべてが在るんだ。
こんなにも豊かなわたしは、
こんなにも豊かさをもらっているわたしは、
この星のために、この星の人達のために、
なにができるだろう。
kotono