さぁどうなる。
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しばらく進むとようやく8合目の下の方の山小屋『太子館』に着いた。ここでまた休憩だ。案の定ずいぶん遅れて来た相方の近くに寄って、酸素を吸わせてあげながら「大丈夫か?」と聞いた。
相方は黙ってうつむいている。
私はしばらく黙って相方を見ていた。そしてもう一度尋ねた。
「大丈夫か?」
相方はまだ黙ってうつむいている。そして、ついに相方は力なく首を横に振った。
そうか。ここでリタイアか。
「今回は頂上まで上がる」とはりきっていた相方がとても不憫だ。何とか出来るものならしてやりたいが無理はさせられない。チーム全体に迷惑をかけてしまう。仕方ない。とにかく相方はここでリタイアさせよう。問題は私はどうするか…ということだ。
相方は「私は一人で大丈夫だから、上まで登ってきて」と言う。
本当に一人置いて行ってしまって大丈夫か?まぁ幸い山小屋の前だから、素泊まりの代金さえ払えば朝まで休ませてもらえるのだが…。
でもそもそも相方が「一緒に登頂しよう」と言ってくれた事が今回のきっかけだったのに、一人で上がる意味があるのか?
いやしかし、ここで私もやめると言えば相方は自分のせいで道連れにしてしまったと責任を感じるだろう、それもかわいそうだ。
そして、そうだ髪の毛と爪を山頂に置いてくるという目的もある。まだまだ元気で居てくれるとは思いたいが、母もいつまで居てくれるかわからない。相方とまた富士登山にトライする機会はこの先まだ何度かあるだろう。でも母がその時に健在である可能性は年々低くなる事は間違いない。今回持って来た髪の毛や爪を次の機会まで残しておくのは、ちょっと衛生的に避けたい。となると今回の機会は何としても活かしたい…。
いやしかし…。
私の心はこんな葛藤に激しく揺れ動いた。
私はもう一度相方に同じ質問をした。今回は別の意味で尋ねた「大丈夫か?」相方は私の質問の意図を察して今回は頷いて「大丈夫、行ってきて」と答えた。
よし、相方をここに残して一人で登る。
そう決めたら、とにかくすぐにガイドさんや強力さんに伝えなければ…。私はガイドさんに「連れがリタイアします」と伝えに行った。すぐにガイドさんが相方の近くに来て、一人で歩けるかなどを尋ね、即座に太子館に素泊まりの受付を済ませ、相方を山小屋に連れて行った。あっという間に相方の姿は山小屋の中に消えた。
そういえばバスで向かっている道中にガイドさんが、高山病はひどい時には死に至ることもあるので、決して無理をせず体調が悪いときは申告して、諦めるという決断をするようみんなに伝えたときに、もう一つ登山開始までに皆さんに決めておいて欲しいことがあると言われたことがあった。
それはほとんどの参加者が私たちのように友達同士だとかご夫婦だとか何人かで連れ立って参加されている。もし万が一仲間の一人がリタイアを選択したときに、他の連れがどういう選択をするかを予め決めておいて欲しいということだった。
ガイドさんが言うには、リタイアの人が出るたびに「一人で行って…」「いや行けないわ…」「ここでお別れね」「でもきっと、生きていればまた会える…」なんていうたいそうな涙涙のお別れがあるらしい。この離別のシーンが長いときには30分ぐらいかかるらしい。その間チームの他の人たちはずっと待つしかない。これはとてつもないロスタイムである。だから事前に決めておいてくれということなのだ。
実は私たちは決めていなかったのだ。だから突然そのシーンに出くわして困惑してしまった。
でも実際、私が一人で登るという決断をするまでの時間は長くても2分ぐらいだったと思う。相方がダメだとわかって、グルグルと色んなことが頭の中を駆け巡って…すごく長い時間だったようだけれど、実際はそんなものだ。でも決めたとは言えガイドさんに伝えに行った時には、本当はまだ迷いがあった。
ガイドさんや強力さんがとても迅速に動かれて、あっという間に相方が山小屋に消えたのは、今思うと私の迷いを断ち切る為のものだったのかも知れない。
相方が山小屋に入ってすぐに強力さんが「じゃあ出発します」とみんなに声をかけた。私は後ろ髪を引かれつつ、歩き始めた。
私たちのツアーは8合目の『白雲荘』という山小屋で2~3時間程度仮眠をとって、真夜中の1時半頃からまた登山を再開し、4時すぎに山頂を目指す。同じ8合目とは言え、太子館と白雲荘は1時間弱の距離がある。相方が太子館でリタイアすると言った時、せめて当初の目的の仮眠場所の白雲荘まで行けないものか…と思ったりもした。そうして少し仮眠をとれば、また元気を回復して上がれるんじゃないかと。
でも実際白雲荘まで上がってみて、太子館の段階でもう完全にバテバテで肩で息をしていた相方が白雲荘まで上がるのは到底無理だったことがわかった。
そうこうしている間に白雲荘に到着した。強力さんから山小屋の前で次の集合の時間などが伝えられた。そして一人一人に弁当が配られ、それを受け取りながら山小屋に入った。夜食として今食べてもいいし、山頂でご来光を待っている時に食べてもいいと言われたが、特にお腹も空いていないし、何かを食べる事で無駄に水分を減らしたくなかったので、そのままザックに放り込んだ。
山小屋の中の与えられた仮眠スペースは、私の人生で一番過酷な睡眠スペースだった。
廊下の両側にちょっと奥行きと高さが広めな押し入れのような、山小屋の人たちが『部屋』と呼んでいるスペースがある。そこにずーっと布団が敷いてある。廊下側が頭になっていて、枕が通路に並行して並べてある、枕の幅は35cmぐらい、隣の枕との隙間は2cmぐらい、つまり37cmぐらいが一人のスペースだ。掛け布団がもう掛かった状態になっているので掛け布団をまくると2~3人隣の人にまで迷惑がかかる。なるべくまくり上げないように、滑り込むように布団に入った。片方の肩を少しあげないと両方下ろすと隣の人のスペースを侵してしまう。おまけに頭のすぐ上が通路で、後から来る別の団体の人たちがひっきりなしに行き交う。押し入れ部屋の上の段にも別の一団が居るようで、モロに振動が伝わってくる。とても寝られる環境ではない。
布団の中でも、少し動くと隣の人にあたる。身動き一つできない。
まぁ布団が敷いてある場所に横になれるというだけで、有り難いことだ。贅沢は言えない。そして確かに幾分身体が休まった。
でも動けないというのは本当にキツい。そもそも酸素が薄いせいか、どんどん血の巡りが悪くなっているような状態のところで、身動きがとれないとエコノミークラス症候群のような感じで、下半身がしびれてきて、膝から下の感覚が麻痺してきた。
集合時間の40分ぐらい前に、そーっと布団から出て、トイレを済ませ山小屋の入り口付近で防寒具を着たりして身支度を始めた。そして足を屈伸したりして軽く体操をした。
少しずつチームの人が山小屋前に集まってきた。間もなく強力さんもやってきて「チーム☆スターの人、じゃあこれから頂上を目指して登ります」と登山再開を告げた。そうだった私たちのチーム名は『チーム☆スター』だった。疲労や睡魔などでぼーっとして、星としての自覚を忘れていたみんなが、はたとチーム名を思い出した。
8合目の『白雲荘』を出発した直後から、登山道はご来光登山の他のグループなどで大渋滞してきた。ほんのわずか進むとすぐに止まってしまう。おかげであまり疲れなかったが…。見上げてみると無数のヘッドライトらしき灯りが上の方までぎっしり登山道の位置を示している。
少し進んでまた止まってを、繰り返しながらなんとか本8合目まで到着し、再開後はじめての休憩だ。しかし仮眠休憩の後、ここまで半分休憩のような登山だったから、あまり疲れは溜まっていなかった。そのわりには長い休憩時間だ。そう思って出発の合図を待っていると、強力さんがまた「じゃあチーム☆スターの人集まってください」とチームのみんなを集め「ここから登山道を変更して、通常の下山道を登ります」とおっしゃった。どうもあまりの大渋滞で、このまま登山道を登り続けてもご来光に間に合わないとの判断から、下山道を上がれないか下見されていたらしい。
まぁ初めて富士登山に参加した私にとっては、登山道も下山道も変わりはない。言われたところを進むだけだ。
それからひたすら下山道を登った。道は土というか、火山灰だ。たまにごつごつした石も転がっているが、基本的には柔らかい火山灰と土の道だ。この層は比較的厚いようで、そこを毎日何千人もの人がここを通って下山するわけだ。多くの人に踏まれて固くなっているというより耕耘機で耕したように、ふわっとしている感じだ。ここを歩くのは、ちょうど砂浜を歩くように土が靴にまとわりついて、足を取られてとても歩きにくい。正式な登山道がどんな感じか知らないが、少なくともやはりここは登山道としては不向きだ。
おまけに登山道はあんなに大渋滞で少しずつしか進まなかったのに、こちらのルートを通る人はほとんどないので、強力さんの休憩の合図がないかぎり立ち止まることも出来ない。しかも辺りは真っ暗だ。そもそも本8合目より上には、もう山小屋がないので灯りは登山者のヘッドライトのみだが、下山道を登っているグループは私たちの付近には1つか2つしかない。それでもそれだけの人数がいれば100人は越えていただろうけれど、真夜中の富士山では100人が、いくら「従来の3倍の明るさ」のキャッチコピーのヘッドライトをしても、大海原に雀の涙程度だ。とても心細い。だから、どんなにしんどくても、前の人との距離が広がらないよう歩くしかない。
しばらくしてようやく休憩の合図があった。みんな山を背にして、座り込んだ。水を飲んだり酸素を補給したり、みんなほとんど話すことはなくなっていた。そして気付くと温度はかなり下がっているのか、明らかに寒いと感じる温度だ。腰を下ろした道はどうもかなりの勾配らしく背中から降ろしたザックから一瞬でも手を離すと下に転がってしまう。実際、座っていた私の所に前の方の人のザックが転がってきて、私に当たって止まった。でもそんなことはもうどうでもいい・・・ザックの転がった人も、それを塞き止めた私も、もうそういう状態だった。
下山道は富士山の側面にジグザグになっているようで、ジグザグのジグの部分を進んで折り返してザグを進むわけだ。ジグとザグの往復でだいたい15~20分ぐらいだろうか。強力さんはジグザグと往復に進む、ジグの真ん中あたりで休憩というペースで休憩をとられた。
休憩のたびにガイドさんは後ろから前へと全員の顔色を見て歩かれた。「チーム☆スターの皆さん、もう少しです。がんばりましょう」もう星の輝きのカケラも名残もない私たちに、その言葉だけが空しく響いた。
「もし無理そうなら、ここでリタイアして本8合目まで今来た道を一人で下りて山小屋で朝を迎えることもできますが、そのままその場で夜が明けるのを待たれて、ご来光を拝んだ後、この下山道を通って下山するチーム本体に合流してもらっても構いません」とガイドさんがおっしゃった。
何度も言うが、本当に本当に辺りは真っ暗闇だ。ここで夜が明けるまで一人で居るなんて、そちらが構わなくてもこちらが構う。寒さと暗さでまともな精神でいられる自信がない。かと言って一人で本8合目まで下山するのも無理だ。真っ暗闇を一人で歩くだけでも不安なのに、ジグザグの折り返しがどこなのか全然わからない。
大げさなようだが、一人での下山もその場の待機も命の危険を感じるともいうような、何とも知れない自然の脅威を感じる。
おまけに私は相方を一人置いてきた。こんなところでリタイアするぐらいなら、あの時一緒に諦めて、あんなにしんどがっていた相方のそばに居てやればよかったじゃないか…。
そしてそんな相方を残してまでこだわった母の爪と髪の毛はどうする…。
また私の胸に様々な想いが去来した。
理屈や精神論はともかく、とにかく行くしかない。それしかないのだ。
さらにジグザグの下山道の登山が続いた。
その後、何度かジグザグを繰り返すと急に辺りに人が増えてきた。みな山を背に止まっている。かと言って休んでいるという雰囲気でもない。何となくその人たちに気を取られていると私たちのグループを呼ぶ声が耳に入ってきた。
「チーム☆スターの皆さん、お疲れさまでした。頂上に到着です」
えっここが頂上。。。。
暗闇の中をずっとうつむいて、ただ前の人の足元だけを見て歩いていたのでよくわからなかった。止まっていると思っていた沢山の人たちは、どうやら到着したご来光待ちの人たちだったようだ。
登頂の瞬間の感動は如何ばかりか…と期待していたが、あまりに不意のゴールで感動するタイミングを逃してしまった。
その後私たちは、何となく強力さんを囲んで円になった。そしてもう一度改めて「おめでとうございます。登頂です」とみんなに登頂成功を宣言された。みんな拍手して互いをを労い合った。そしてガイドさんの音頭でバンザイを三唱した。私はようやくじわーっと感動がこみ上げてきた。
「ご来光は4時45分頃ですので、それまで向こうの方の山小屋で過ごすなどして待ってください。その後5時15分にこの場所に集合です。そしてみんなで下山します」それを聞き終わると解散した。

私は相方に登頂達成メールを入れた後、頂上の山小屋のさらに奥にあるという神社にお参りに行くことにした。そこで金剛杖に焼印を入れてもらうつもりだ。そしてお守りを買って来よう。
暗くてよくわからないが、相当な人数の人が頂上にいるらしい。とにかく人をかき分けないと前に進めない。大変な混雑だ。それでもなんとか神社に辿り着き、早速焼印を入れてもらう列に並んだ。300円で焼印を入れてもらって、今度はすぐ横のお守りとかお札を売っている列に並んだ。家と会社の神棚にお札を、そして母に長寿のお守り、相方と私自身に富士山の岩が入った御霊岩守りというのを購入した。どれも頂上でしか買えないものだ。
神社でお参りと用事を済ませると、時間は4時半を過ぎている。元の所に戻ってそこでご来光を見ることにしよう。人ごみで迷子になって戻れなくなったら集合時間に遅れてしまいかねない。
この時間になると少しずつ辺りが明るくなってきた。ご来光まではもう少し時間があるというのに、日の光というのは本当に偉大だ。山頂はさっきよりさらに人の数は増えているようだ。それでも何とか元の場所まで戻ってザックを降ろして、今買ってきたお札やお守りを片付けた。そしてザックの中に放り込んで忘れていたお弁当に気付いた。何気に一旦取り出してみると中のソースのようなものが少しこぼれている。「うわぁ最悪や、ホンマかいな」思わず口をついて出た。仕方ないザックの中身を一度全部取り出して、ザックの中の被害状況を確認しよう。一つ一つ念入りにチェックしてみたところ、幸い日よけに持ってきていた帽子が汚れただけで、他への被害は免れたようだ。ウェットテッシュで帽子の汚れを拭き取った、防水コートのスプレーを吹きかけておいたので被害は最小に食い止められたようだが、それでも何となく汚い。ふと気付けば汗をかいた頭に風が吹いてとても寒い。体の熱が頭から奪われている。汚れた帽子でもないよりマシか…と思ってそのままかぶることにした。頂上ではゴミは出せない。仕方なく、犯人の弁当はコンビニの袋で何重にも包んでもう一度ザックに納めた。
こんな不要なことに時間を取られている間に、ご来光の時間が迫っている。どこか見通しのいい場所を確保しなければ…と辺りを見回し、少し大きめの石の上からご来光を拝むことにした。

間もなく太陽がその姿をゆっくりと表した。
オレンジの日の光がさっきまでの疲れた体や折れそうになった心を優しく包んでくれた。
そして感動というよりも、もっと深い生きていく自信のような力が私の体と心の深いところから上がってきた。
でもこの感動に浸っている時間はない。富士登山の大きな目的がまだ果たせていない。そう爪と髪の毛だ。とにかく火山口の方に急いだ。明るくなって頂上の全貌が見えてきたのだが、想像していたよりはるかに頂上は広い。火山口も半端なく大きい。事故防止のロープが張ってあって、穴のすぐそばまでは近づけない。仕方ないので、とにかくロープのぎりぎりのところまで行って精一杯手を伸ばし、大切に持ってきた母と私の爪と髪の毛、そして事前に抜いておいた相方の白髪を置いた。
これからの人生で新幹線や東名高速などから、またテレビでも幾度となく富士山を見るだろう、そのたびにあの頂上に私の爪や髪の毛があるんだと思うだろう。墓を建てる建てないの問題よりも、まずはそこにあると思うことが感動だ。
とにかく置いた。これでミッションは完了だ。
その後、集合時間に集まって私たちのチーム☆スターは下山を開始した。
下山道は私たちの、ついさっきまでの登山道だ。明るくなって改めて見ると、こんなところを歩いていたんだと不思議な気持ちになった。下山は早い。ふと振り返るともう随分下っている。結局、本8合目までノンストップで休憩なしだった。本8合目の休憩で、みんな着ていた防寒具を脱いで、今度は日焼け止めクリームを念入りに塗ったりして、暑さと日焼け対策に仕様変更した。水分補給もしっかり行った。下りは高山病予防ではなく、熱中症予防だ。
本8合目の休憩後、須走口と吉田口の分岐のところまでチームは一緒に移動した。ここで間違えた下山ルートを選択すると大変なことになる。強力さんとガイドさんが全員が吉田口ルートを選択するのを見届け、ここからは自分のペースで各々下山する。チーム全員が集まるのは帰りのバスに乗り込む前になる。
私は比較的早いペースで下山した。歩いているというよりは傾斜に身を任せてただ左右の足を前に出しているという感じだ。時々膝を曲げるタイミングがずれるのか、道に正座したような恰好になる。かなり面白い状態だが、あちこちで多くの人に見られる光景だ。
7合目~6合目のあたりで相方からメールが入った。リタイアした8合目の太子館でご来光を見たあと下山し、一足先に5合目の雲上閣に無事戻ったらしい。
私もあと1時間ぐらいで着くと思う、と電話した。相方の声は少し元気を取り戻しているようだった。
そして5日午前8時、私も無事雲上閣に戻った。登山開始から約14時間半、本当にしんどくて、とても濃密な時間だった。
私は急いで相方のいる、雲上閣の3階の出発前に着替えを済ませた部屋に行った。部屋の隅で相方は横になっていた。「ただいま」と声をかけると起き上がって「お疲れさま」と応えてくれた。顔色も普通通りだ。
それからチームの集合時間までの間、私たちは二人で5合目を散策した。その間ずーっと私は、相方と別れてから頂上に着くまでの色々を、興奮状態で話し続けたような気がする。相方はずっと「ふんふん」と言って聞いてくれた。
チームは集合場所に予定の時刻に集まった。強力さんにお礼を言って別れた後、私たちは全員バスに乗り込んだ。
これから近くの日帰り温泉に入って、そこで昼食を済ませ、帰路につくのだ。
これにて富士登山本編終了。


