昨日の2月25日金曜日の晩ごはん
*チキンカツ&春キャベツとブロッコリースプラウト、それとトマトを添えて
*カボチャの煮もの
*豆苗とお揚げの味噌汁
*ぶどういろの飲み物
オットの大好物のチキンカツ、張り切って胸肉3枚で用意しました。
揚げている最中に若干多かったかと気づきましたが、まあ朝にサンドウィッチにしたらいいかと全部揚げました。
しかしよく考えてみれば、そういえばオットは飲み会の日でした_| ̄|○ il||li
あああああああきらかに揚げ過ぎ、、、、
そんなわけでぶどういろの飲み物を飲むことにしました(どんなわけ?)。
忘れないうちに書いておかないと。
先日なーちゃんたち4年生の二分の一成人式があった。
なーちゃんが二分の一成人式実行委員なるものに立候補していたのを母さんが知ったのは、たしか前日Σ(゚Д゚;)
なんの前置きもなく、なんの相談もなしだけれども、いつもとても積極的なようで・・・これは兄ちゃんには全くなかった性質だ。
ギリギリまで練習したという「はじめの挨拶」の言葉を、原稿を見ずにはきはきと声に出すし、母さんはなーちゃんのその成長に誇らしい気持ちになった。
なーちゃんを身ごもったのは母さんが三宮で働いている頃で、あの頃の母さんは外で働く母さんで雨の日も風の日も雪の日も毎朝自転車で長男を保育所まで送り届け、それから駅まで全力で自転車をこいで電車に飛び乗る日々だった。
兄さんが熱を出して急に休まなければならなくなる日もあり、オットの仕事の都合もつかない!そんな絶体絶命の日はその日の自分の御予約のお客様一人一人にお断りの電話をして御予約の日にちを別の日に取り替えてもらうのだが、そうでなくても自分が出勤の日は30分、15分刻みにお客様の予約でいっぱいだった。
そのうち昼休憩の時間にも予約を入れ、それでも入らなくて義父母に長男を預け、休日出勤をして接客をしていたのを思い出す。
(あれ?今の母さんのスケジュールとよく似ている・・・休みと決めた日にまで仕事を入れている今の自分)
たしか近くの店舗が閉鎖し、それに伴ってその店舗のお客様が大量に増えた影響で超ハードな仕事をしていたときに突然やってきたのがなーちゃんだった。
なかなか2人目が出来ないと悩んで病院へも通い、しかしそのうち仕事が忙しくなって病院通いもやめてしまったころにひょっこりやってきた新たな命だった。
どのタイミングで仕事を調整しようかと悩む間もないころ、悪阻のために食事もとれずにそれでも仕事をしていたときだった。
仕事中に出血した。
仕事を早退して放心状態のままで電車に飛び乗った。
のんびりとした穏やかな午後の日差しの車内は空いていて、
お腹の子は助からないかもしれない
こんなにゆったりとした穏やかな日なのに、わたしのお腹の中にいる子はもしかしたらダメかもしれないんだと、電車に揺られながら思った。
でもその一方で、
わたしの子やったら大丈夫。
きっと強い子やから大丈夫。
来年の春には絶対にこの腕に抱っこ出来るはず。
絶対にお腹の中に居なさい。
そこへギュッとつかまっていなさい!
と思う自分も居た。
お腹に宿ったその命はとっても強い子だった。
とてもとても強い子だった。
仕事が大好きなあまり、医者の言いつけを守らずに安静にしてなかったダメな母さんのお腹にしっかりとつかまっていてくれた。
それから数カ月間自宅で絶対安静にしている間、母さんを支えてくれたのは長男だった。
買い物へ行き、風呂掃除をし、洗濯ものをたたみ、母さんの手足となって動いてくれた。
安静がとけてやっと動けるようになったころ、気分も良かったので図書館へ連れて行ってやろうと2人で歩いて出掛けたことがあった。
しかし甘かった。
激しい悪阻のため、途中で動けなくなってしまう。
道路の横のフェンスにもたれかかり、顔色を失って一歩も歩けなくなってしまった母さんに当時4歳だった長男は
「大丈夫か?
もうちょっと休んでいこう。
手をつないであげるから。
荷物は俺が持ったる。
ゆっくりでいいから」
とずっと隣に居てくれた。
あの日がとても暑かったことも、そのとき自分がクリーム色のワンピースを着ていたことも、まるで昨日のことのようによく覚えている。
たったの4歳の長男に手をゆっくりと引いてもらいながら、歩いてうちへ帰った。
(途中、見知らぬ人に「大丈夫ですか!送りましょうか!」と3度ほど声を掛けられたが、家まではあと数メートル・・・その数メートルが数十キロ先にも思えたものだ)
里帰り出産だったのだが、母さんは痛みに強いのか、痛みに疎いのか、陣痛なのか陣痛じゃなくただの腹痛なのかの判別がいまいちつかなかった。
トイレに入って考え、布団で考え、2階で寝ていた母(ばーちゃん)に子機で知らせる。
母の運転する車に乗る前に見上げた空にはぽっかり月が浮かんでいて、明るい夜だった。
「まだまだでしょう。」
という先生の言葉を信じてばーちゃんは一旦実家へ戻ってしまった。
「生まれそうになったらまた連絡します」
と助産師の方が帰り際に言ったようだったが、その約束は果たされることはなかった。
お腹のなーちゃんは、いきなり、突然、まさにあっという間に降りてきて、あっという間に生まれてしまったから。
てんきちに瓜二つで、生まれてきた瞬間に
「またオットが出てきたぁ~」
と笑ってしまったほどそっくりだったなーちゃん。
病院中で一番大きな赤ちゃんで、わっかい女の子看護師の女の子に
「コニシキちゃん」だったか「関取ちゃん」だったか、そんな風に呼ばれていたなーちゃん。
新生児がずらっと並んでいる中で、一人だけ
1歳児か?
ってなくらいに大きかったなーちゃん。
それでも母さんには可愛くて可愛くて、ほんっとに可愛くて、花柄の服だのフリルだのレースだののワンピースだの買えるのが嬉しくて嬉しくて、お揃いの服も着ちゃおうかしらとか、母さんはこの服はもう着られないけどなーちゃんが大きくなったら着るんじゃないかしらとか、大きくなったら一緒に買い物へ行こうかしらとか、好きな男の子の相談とかするのかしらとか、一緒にランチとか行っちゃうのかしらとか、めちゃめちゃ妄想した。
分娩室で
「よろしくね!」
とその小さな手に触れたあの日から10年、来月10歳になるなーちゃんは既に母さんのTシャツを喜んで着てるし、母さんの着る服を
「それ、可愛い~~~!着なくなったらあたしにちょうだい!」
って誉めて(?)くれるし、一緒に買い物も行くし、お出掛けもするし、ランチも行く。
好きな男の子の名前も教えてくれる^^
体育館の舞台の上へ上がったなーちゃんは、
「わたしは5歳のころから続けているダンスを、これからもずっと続けていきたいです」
という風な事を言ったと思う。
後ろのスクリーンには、なーちゃんが1歳の頃の写真が大きく映し出されていて、こんなに大きく映し出すと知っていればもっと厳選した写真を渡すんだったのに(汗)と思いつつもその1歳の頃のなーちゃんの屈託のない笑顔を見て、この笑顔がこの先も曇ることがありませんようにとただ願った。
10年後、二十歳になったなーちゃんはどんな女の子になっているのだろう。
好きな男の子の相談はまだしてくれるだろうか(笑)。
10年後のその日まで、「なーちゃんの可愛くてカッコイイ母さん」で居られるように頑張ろう。
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++おまけのピグ++
お餅だ♡
嬉しっ
いつも優しいどなたか、ありがとう。
母さん連日のプレゼントにビックリして腰抜けちゃった図。
++続きはメイさん劇場++
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