皆さんこんにちは。
先日洞川に足を運んだ際、‘天川を学ぶ会‘京谷 友明さんに偶然お会いする事が出来ました。
学ぶ会の中で共通課題調査(いわゆる‘みんなの宿題‘)に挙げられていた、
‘天川村内にある道標や石碑とにかく古いもの‘の調査の件で、”福田家”の墓標を教えて頂ける事になり、とても有難く京谷さんに同行させて頂けました。
現場に到着。
早速調査に取り掛かり、建立時期を調べる。
元禄(1688~) 享保(1716~) 宝暦(1751~)江戸時代中期~後期の古い墓碑。
中には(おそらく世辞)歌を刻んだ墓碑もありました。また発表材料になります。
伺うところ福田家の伝承話
・安芸の出身者であられた。
・洞川へ入村する為に八幡宮まで小判を敷き詰める盟約を打ち出すが拒まれた。
当時このクラスの墓標を立てれる財力がある事はおそらく富豪級。
(ちなみに庶民の墓標は川原石を積み上げるのが一般的)と伺いました。 合掌
今までに二度程移された石碑?道標?歌碑?今後の調査課題になりました。
石垣は以前‘陀羅尼介‘の店舗が立ち並んでおりました。
広場は旅館街が立ち並んでいたとの事です。かなり昔の事でしょうね!
この立地は台風時まともに突風を受け、雨風、山崩れ等様々なマイナス要因があったのでしょう。
松谷さん推察。
旧本街道を下ってきた細道。
昔のメインストリートであったのでしょう。
木の茂る左手は扇谷氏邸。当時では大豪邸でしょう。
地元の名士で銅像まで雄志の方達で建立に至った。
(現在銅像は無く、戦争時に武器原料に使用されたとか・・・。)
小南峠と称される交差点。
松谷さん曰く、「正面の家屋は洞川内で一番歴史深い家屋」
その証は本物の馬蹄の魔除け?でしたでしょうか?
「お疲れ様でした!」と、優しく解り易く説明下さり、非常に有難かったです。
天川村へ赴任する以前、温泉旅行で訪れおもてなしされた温かいなんとも
懐かしい感じがした一瞬です。
天川村洞川の生き地引なお二人。
有難うございました!