深慮遠謀の覇王(徳川家康)・其の16 | テンカス・気まぐれ1人旅

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最近は歴史にも興味があり、いろいろ調べ
気になった所をまとめ載せていきます。
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狸おやじ論・其の3



信長の死後、織田氏は秀吉に臣従する以外に

生きる道はなかった。


同じように、秀吉の死後、豊臣氏は家康に

臣従する以外に生きる道はなかったのである。


この明白の理屈が分からず、

天下の大勢に逆行しようとした淀君秀頼母子が

自滅したのは当然の成り行きであった

というほかはない。


家康は大坂の役の終わった翌年の四月十七日、

七十五歳で大往生を遂げた。幸運な男である。


秀吉と同じ年(六十三歳)で死んでいたら、

徳川氏は三百年の覇権を握り得たかどうかは

分からない。


家康の遺訓として伝えられるものである。

・・・人の一生は重荷を負うて遠き路を行くが如し、

急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なし。

心に望みおこらば困窮したる時したる時を思い出すべし、

堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え、

勝つことばかり知りて、負くることを知らざれば

害その身に至る。己を責めて人を背むるな。

及ばざるは過ぎたるに勝れり・・・ 


これは後人の偽作であるかもしれない。

しかし、内容的には、この一文ほど彼の処世方針を

適確に表しているものはない。


ここに記された多くの戒めの中の、ただ一つでさえ、

十分にそれを守ることは困難である。

ところが家康はこれらのすべてを、

ほとんど完全に近いまでに守ったといってよい。

決して単なる狸おやじではなく、

古今まれに見るしたたかな、

素晴らしい狸おやじであった。















人物探訪・日本の歴史(暁教育図書発刊・南条範夫氏執筆)ヨリ