深慮遠謀の覇王(徳川家康)・其の10 | テンカス・気まぐれ1人旅

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城をはじめ、名所、旧跡巡りが好きです。
最近は歴史にも興味があり、いろいろ調べ
気になった所をまとめ載せていきます。
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大きな惑星


秀吉と家康の対面については、

いろいろ面白い説が伝わっている。

どれも100%の信憑性はないが記しておく。


家康が大坂に着いて羽柴秀長の邸に入ると、

その夜秀吉が微行して訪れ、

家康に「自分は今、関白の位に

ついているが残念ながら生まれが

賤しいので諸大名は内心侮っている。

明日正式に対面する折、

この点を含んでしかるべくやって頂きたい。

自分が天下統一の功を成就し得るか否かは、

ひとえに御身の心ひとつにかかっている」

と頼み込んだ。


家康はその率直な態度に心を動かされ、

翌日大坂城に上がった時、

諸大名列座の席で、秀吉に対して極めて

慇懃恭謙(いんぎんきょうけん)な態度を

とったので、諸大名は

・・・徳川殿でさえあれなのだから・・・

と、その後は秀吉に

心服するようになったという。


また、この席で、家康が秀吉に、 

「本日の記念に殿下の召しておられる

お羽織を頂きたい。」と乞うた。


秀吉が答えて「いや、これは私が

陣中で用いる陣羽織だから困る」

「なんの、家康がこうして参りました以上、

二度と殿下に物具などお着せいたしません」

秀吉大いに悦んで、家康に羽織を与えた上、

諸大名に向かって

「どうだ、みな聞いたか。徳川殿はわしに

二度と物具は着せぬというぞ。

さてもわしはよい妹婿をとって果報者じゃ」

といったが、これもあらかじめの仕組んだ

狂言であったらしい。



いよいよ屈服を決意するまでは、

ずいぶん秀吉をてこずらせた家康であるが、

一旦、秀吉に服従すると、

最も忠実な部下となった。


これも家康の性格からくるものだ。

青少年時代の家康は今川義元のために

人質として、最も従順に奉仕した。


壮年の彼は信長の同盟者として、

比類のない誠実さを十数年にわたって示した。


中年になって秀吉に接しても終始協力し、

少なくもその生存中は全く異心を示していない。


家康の協力の下に、秀吉の制覇は快テンポで進み、

九州の島津氏を降伏させ、関東の北条氏を亡ぼし、

奥州の果てまで制圧した。

 







 

人物探訪・日本の歴史(暁教育図書発刊・南条範夫氏執筆)ヨリ