備前風・其之弐
またあるとき、兵庫の沖合で、
光政の乗船が暴風雨に見舞われて、
いまにも沈もうとしたことがある。
その折、船奉行の岸藤右衛門が、
血眼で下知する様をみた光政は、
藤右衛門を呼び寄せて、
眉ひとつ動かさず
「生きるも死ぬもすべて天命じゃ、
人の力の及ぶころではない。
船が沈めば沈んだ時の事よ。
あわてず下知せよ」と言い聞かせた。
その一言で藤右衛門以下落ち着きを取り戻し、
船は難破を免れることができた。
光政は、かねて質素を旨としていた。
いつも小倉の袴をはき、ふとんなども、
紫の色があせてしまうまで用いた。
ある日、老臣の池田大学が、立派な巾着に、
美しい珊瑚珠の緒じめをつけて
出仕したのを見た光政は、
数日後、改めて大学を呼び、
「余の手づくりの巾着をつかわす」と、
粗末な木綿の巾着を与えた。
緒じめはなんとむくろじで、
光政自身が火箸で穴をあけたものだった。
大学は恥じ入った。
日ならずして家中の侍たちの印籠や
巾着の物ずき趣味がぴったとやんだ。
このような光政の心ざまに感化されて、
知らず知らずのうちに、
岡山藩の侍たちのあいだに、
質実剛健の気風が養われた。
これを世間では「備前風」といった。
そして後には、
備前の侍は一目で見分けがつくと、
江戸でも評判になったほどである。
(日本の歴史(将軍と大名/暁教育図書発刊)(大奥秘話/邦光史郎氏執筆)